次に向かったのはセラ寺。
スマホで見てる方、見えますかね。写真の中央、山頂から少し下に目線を下ろすと、黄色い建物が見えますか。「次はあそこです」なんてガイドが言うので、びっくりしました。冗談ですって。
荒涼とした山肌にポツン、わたしのイメージ通りのチベットのお寺ですが、ここには行かず、麓にあるお寺や、修行する場所、チベット仏教経典の販売店などを見学しました。
ここのお寺には1900年に、チベット初の日本人がいたところだそうです。「仏教家で探検家」とウィキに記載されていましたが、なんだかすごい人がいるものですね。
色をつけた砂で作られた曼荼羅。美しい。
曼荼羅の描いているものは、仏の悟りの境地を、仏や菩薩、梵字、絵などをつかって決まった様式や方法で、体系的に配列して図として表したもの。
このブログを書いている今、喉風邪にやられており、咳がひどく眠れない夜を過ごして3晩が過ぎたところです。ぜえぜえしながら、曼荼羅を眺めているのですが、咳が治るなどの効果はないようです。
上の曼荼羅を見てください。(1)外側の円の部分に目がいく(2)内側にある四角の部分に目がいく。さて、どちらでしたか。
(1)の人は優しい人
(2)の人は気の強い人
なんですって。チベット仏教、そんなざっくりでいいのかな。
このすてきな曼荼羅がどんなところにあるのかというと、売店の倉庫にありました。倉庫に曼荼羅を置いたのか、曼荼羅の置いてある場所に売店の物を置いたのか、どちらが先かはわかりません。
ラサの街中心、旧市街地にあるジョカンというお寺にやってきました。ジョカンはチベット仏教最大の寺院。周りには大きな広場があり、周りはバルコル(八角街)という巡礼路になっていて、お土産もの屋さんが延々続いています。
この金ピカの室内は、外からはまったく想像ができないほど、広くて、暗く、大きなものから、小さな小部屋に仕切られた仏殿からなっており、バターの香りの中に、大勢の信者と、大勢の観光客がいる光景が広がっています。
撮影禁止なのでわたしももちろん写真はなく、あるのは記憶だけ。この青空の下の金ピカ写真を見ていると、あの薄暗い、なんとも言えない雰囲気の広大な仏殿は、本当に実在したのか疑わしくなってきます。
チベット仏教のお坊さんたちは、普段はお寺の仕事をしたり、曼荼羅をつくったり、バター細工の仏像をつくったりしながら修行しているのですが、その修行のひとつに「禅問答」があります。
僧侶が悟りをひらくために行う師との問答のことですが、日本語では「何を言っているのかわからない変な問答」「無理難題な問答」「話のかみ合わないやりとり」の例えとして使われる言葉でもあります。
例えば、有名な禅問答「馬には角がある。あなたには見えますか?」
なぞなぞでも、とんちでもないので、うまい答を言わなくちゃとか思うとダメみたいです。(考えちゃいます、つい。ほほうーとか言われてみたい)
正解がひとつとか、そもそも正解があるということではなく、答えを導く中で、悟りがあればよいのだそう。その訓練なのだそうです。
常識に問わられず、本質を見る、迷ったり、解釈するものではなく、論理的思考で考えるものでもなく「わかる、悟る」ところから導かれた答なのだそう。
この問いの答は「あるならば、見る必要はないでしょう」だったのですが、なるほどなーと思った時点で、それはわたしの答えではないんですよね。