気がつけばあっという間の2019年。もうティーンではなくなってしまうのね、と一抹の寂しさも。次のティーンエイジには、間違いなく生きていないので、最後まで楽しもうと思います。ティーンエイジの拡大解釈。
先日「忘れられない、二十歳のクリスマス」を書いたので、今日は大晦日。
小さな頃は、大晦日は秋田の父方の祖父母の家で過ごし、元旦にたっぷりお年玉をいただいてから母方の祖父母宅へ。またお年玉をたっぷりといただき、家に帰ってから初売りでお年玉が消えていくという流れ。
少し大きくなると帰省はせずに家で過ごす大晦日。両親が秋田の出身なので、かどうかはわかりませんが、大晦日の夜はきりたんぽ鍋とだまこもち(「半殺し(半分くらいに潰すことをそう言うらしい)」したごはんを丸くお団子にしていれるバージョンのきりたんぽ鍋)が我が家の大晦日ディナーです。
そして紅白を見たり、誰かがうたた寝したり、うたた寝している隙に紅白じゃない番組にこっそり替えたりしながら年越しを迎えていました。
ふだんは飲ませてもらえないコーラ、なぜか年末近くになると冷蔵庫の中にあったのは、ほんとうはたまにコーラを飲みたくなる母が「大晦日だから特別に飲んでもいいよ」と特別感を演出しながら、実は自分が飲みたかっただけという言い訳だと思います。
その後は仙台の定禅寺通り「SENDAI光のページェント」でカウントダウン、そのまま初詣へという友だちと過ごす大晦日が定番。そこからもうしばらくすると、冬休み1日目から仕事始めギリギリまで旅行に行くように。
だいたいがこのパターンですが、ひとつだけ思い出深い大晦日があります。
18歳の時、大阪吹田市の江坂にあった「カーニバルプラザ」というバーエリア、バーベキューホール、シーフードホールと3エリアに分かれた、バブリーな巨大エンターテイメントレストランでアルバイトをしていました。
大きなレストランなので、働いているスタッフの数も大学生のバイトを中心に相当いて、ちょっとした縦割り学級のようでした。
キャノンボール(cannonball)とは、アメリカの公道カーレース(もちろん非公式)です。アメリカのキャノンボールのように公道を爆走するレースではなく、バイトメンバーがグループに分かれ、江坂のレストランの駐車場をスタートし、奈良の春日大社のゴールを目指す遊びキャノンボール。
スマホはもちろん、ナビもない頃なので、それはそれでスリル満点。迷ったり、お腹空いたり。ゴールの春日大社ではシカたちに迎えられるプレゼント付。楽しかったなあー。
そんな18歳の大晦日。
この数ヶ月後にはアメリカに行ったので、それほど長くバイトしていたわけではないのですが、とても楽しいバイト先でした。
いつもブログを読んでくださっているみなさま、今日たまたま開いてくださった方も、今年一年ありがとうございました。
そして、ステキな2020年をお迎えください。