先日傘を忘れた夫を駅まで迎えに行くと、ケーキの箱を片手に持って立っていました。ハロウィン仕様のモンブランといちごのショートケーキ。このふたつ、子どもの頃は苦手で食べられなかったのに、大人になって大好きになった食べ物たち。
帽子はもちろん、目や口のチョコまで美味しかったです。うれしいおみやげありがとう。
うれしいおみやげは人を幸せにしますが、時に、人を困惑させるおみやげというものも存在します。
わたしの父のことなんですけどね。まあおみやげのセンスがないというか、おみやげ以外のところのセンスがそもそもないというか。こんなこと言ってひどいなあというのは分かっているんです。おみやげって、気持ち、ですものね。
現役の頃は出張も多く、単身赴任の時期も長かったザ・昭和のサラリーマンの我が父。家に帰る度にちょっとズレたお土産を買ってきては、家族を困惑させておりました。
ある時、アメリカ出張から戻った父。こどもの頃のことでしたので、アメリカうんぬんには興味はなく、関心は「わたしのお土産は何か」一点。チョコレートなのか、お人形なのか、ワクワクして父の帰りを待っていました。
「ただいまー」と玄関のドアが開くやいなや、父のスーツケースに一目散です。「おとうさーん!」こどもってかわいいですね。「まあ、待て待て」と嬉しそうな父。そして大きなカバンからわたしへのおみやげを取り出しました。「今ねえ、アメリカでは名前の入ったコップが流行ってるみたいなんだよ。はい、おみやげー」
……。
Ca...キャ、キャサリン?
わたし「こ、これってなんて書いてあるの?」
父 「キャサリン」
あなたの娘はいつからキャサリンになったのでしょうか。英語の読めない娘にも、これが自分の名前ではないことは分かりました。こういう時はどんな気の利いたリアクションをしたらいいのでしょう。「は〜いいっ!マイネームい〜ず!キャッサリーン!」と父のボケにのってみたらよかったのでしょうか。もとよりこれはボケだったのでしょうか。自分がこの「キャサリン」と書かれたマグカップを手にした時、どんなリアクションを取ったのか全く記憶にありませんが、母が大きなため息をついたような気がします。
1)いろんな国、もちろん日本にもある「名前付きなんとか」の存在を知らなかった
2)「名前付きなんとか」は「『持ち主の』名前付きなんとか」であってこそという概念がなかった
3)娘の名前はキャサリンだと思っていた
4)名前付きのマグカップはそもそも流行っていないことを知らなかった
5)父の渾身のボケだった
それとももっと何か別の理由でしょうか。なぜキャサリンマグカップだったのでしょう。
こんなことが続いたあとに、我が家で「おみやげはいらないからねー」というのは、遠慮などではなく、文字通り言葉通り「おみやげはいらないのである」と認識されるようになりました。
ちなみに、ふたつ上の姉へのおみやげはこちらのようなものでした。