実家で「中国はブタ年なのね。ふふふ」と笑われてきましたが「いやいやアジアでいのししなのは日本だけですからー」とは言い返せず、一緒に「ふふふ」と笑ってきました。
この年末は、大晦日に小籠包などを食し、お正月はおシャンパンとおワインとお日本酒をいただきながら、眠くなったら眠り、起きては飲み、そしてまた眠りと、欲望に身を委ねる幸せ。いい気分でうとうとしながら「年末年始ってどう過ごしてた?」なんて話をして過ごしておりました。
余談ですが、「ねむたいひとたち」はとても好きな絵本です。わたしはなんでこんなに眠たいのか、と話したら姉がこの絵本を買ってくれました。「ナイトキャップ」という言葉が出てくるのですが、ナイトキャップをかぶる習慣のない日本だからか、ナイトキャップは訳されることなく、カタカナで「ナイトキャップ」でした。
振り返ったわたしの年末年始ヒストリー。
小学生くらいまでは、両親の実家で過ごしていました。翌日にいただくお年玉のためなら多少のことはガマンガマンと、紅白歌合戦をBGMに、ご機嫌に酔っ払う家族や親戚に笑顔でお酌をするこどもでした。
ふたつ違いの姉が中学に入る頃には、学校のことなどで忙しくなり、両親の実家に行くことはなくなりましたが、お年玉を現金書留で頂いていました。みなさんありがとう。中学3年生の時は、お正月から塾の講習があり、ちょっと大人になったような気がしたものです。
高校生になると、年末年始もアルバイト。バイト自体も楽しいのと、高校での人間関係以外の環境というのが何より心地良かった気がします。大学の頃は、日本に帰ったら負けのような気がしてアメリカで過ごしたりしていました。何と戦っていたのでしょう。と言いながらも帰ったりしてるのですが。
社会人になってからの数年は、31日は友人とカウントダウン、それ以外は年末に大量に購入した本を一日中読み続けることがルーティーンになっていました。その後は旅先で年末年始をあまり感じずに過ごすことが多かったかもしれません。
どの時代も、当時はなんとも思わずに過ごしていましたが、今思うと特に楽しかったなあと感じるのは、友人とのカウントダウンと、家の手伝いをするでもなく、延々と本を読み続ける休みを過ごしたあの数年でしょうか。
ん?今年とそんなに変わっていないかも?
2019年はパキパキとして過ごしたいと思ったのもつかの間、三が日を過ぎる前からパキパキ感が全くないことに気がついていました。中国の新年はもう少し先だから、そこからでもいいですよね。