イヤなことや、やりたくないことはなんとしても避けて過ごしたい(できれば叱られることなく、シラっとやり過ごしたい)、気がつけばそういう生き方がクセになっていたように思います。
イヤなことから逃げようと思うと、いろんなアイディアがどんどん出てくる。
このままいったらろくな人間にならない、やばいわと、やっと自覚するようになってきた、二十歳前後の頃、今度はだんだんとストイックな方向にシフトしていきました。
その頃ストイックなタイプの人たちを好んでいて、読んだ本の登場人物、それを書いているストイックな作家たち、ストイックな登場人物の映画、ストイックなタイプの音楽をつくる人たち、そういったものからの影響が多分にあると思います。すぐに影響されるタイプなので。
海外にひとりで住んでいたというのもあったと思います。高校時代のホームステイと違って、寮やアパートでの生活は、親の目もなく、友だちやルームメートはいますが、根本的なところでは、アジア人のちんちくりんな女子のことなんてさほど気にしません。
授業に出ようと出まいと、誰といようと、ひとりでいようと、何をしようとしまいと、誰にも迷惑もかけなければ、心配されることもない。
極端なこと言えば、本当の犯罪を犯してしまったり、本当に死んでしまったりしない限り、かなりのレベルで自分の意思だけで決めて自由にしていい環境でした。
そうなんです「やりたくないのにやらなければいけない」というものがなくなったのです。
もう白いごはんを食べなくてもいいし、大きな数の計算は電卓かコンピューターがやってくれます。マラソン大会だってありません。
たとえやりたくないことも、その先にある自分の目的のためであれば、やりたくないわあと思いながらも、やらなければ、やるしかないか、よしやりましょうとなるようでした。
海外で暮らすなんてコストパフォーマンスの悪いことをしなくとも、考えたり想像すればふつうにできる人もいるでしょうし、実際にそうなって自分の実体験としてなってみないとわからない人もいるんだと思います。できることなら前者に生まれたかった。
そんなわけで、10代が過ぎたころあたりからはいろいろな影響や環境が整って、ずるいことや、バカげたウソをついたりするようなことはグッと減っていきました。
減る?なくなってはいない……
三つ子の魂百までと申しましょうか、人格形成の大事な時期に身ついた生き方のクセのようなものは消えて無くなることはないようで、逃避グセは未だ健在です。大人になった分、食べたくないごはんを炊飯器に戻すといったやり方ではなく、もっと洗練された方法で現実逃避をしたり、時間が解決してくれないかしらとひたすら先延ばしにしたりしています。
ビバ大人!