ひつじ泥棒2

Who stole my sheep?

お米の嫌いな2%の日本人のごはんのお供

 

大人になり、まわりに「お米苦手です」な人が割といたような気がするので、意外といるんだよかったと思っていたのですが、実は2%だっとは。お米の国生まれてしまったお米の苦手な人。2%かぁ。

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すごく嫌い→嫌い→そんなに好きではない(今ココ)

データはこちらから|お米は好きですか?アンケート結果 : 何でも調査団(@niftyニュース)

親には本当に苦労をかけました。自分の娘がお米が食べられない(食べたくない)って意味不明だったんじゃないかしら。わたしの知らないところで周りに何かを言われたこともあるかもしれません。

お米が食べたくなさすぎて、幼稚園児にしてお箸を折るという暴挙に出たこともありました。(恐ろしく叱られました)食べなくていいよと言ってしまえば楽だったろうと思いますが、さすがにそんな訳にもいかなかったでしょう。

お米が嫌いがいろいろな摩擦を生み、食べることそのものが苦痛になった時期も。小学校の担任が、給食は完食すべしの理念をお持ちの時の給食時は地獄のようでした。ふう

お米の国に生まれて、お米が苦手と言おうものなら「え〜信じられない!」「じゃあ何食べてるの?」「親が・・・?!」「ナニジン?」……何度言われてきたことか。

いやいやいやいや、お米が苦手でほんとにごめんなさい。親も悪くないし、きっかけなんてないし、記憶にある最初からなぜかお米が苦手がなんです。ただただ苦手なんですうううう。

大きくなるにつれ、お米とわたしの妥協点をお互いに探りつつ、家では一口でも二口でも食べればよしという方向に少しずつシフト。もう少し食べたら?とちょいちょい言われるものの、笑顔でスルーです。高校受験の日のお弁当は、お米の苦手なわたしのためにカツサンドでした。泣ける、母、LOVE!

カツサンドのおかげで無事高校にも合格。地獄の給食もなくなり、ここからこそわたしの食の天国!……ではありませんでした。

高校に入学し部活動(わりとすぐに辞めることとなるのですが)が始まりました。何を血迷ったのか、今の自分からは想像できませんが運動部に入部、しかもまあまあ強い部でした。

結果として、部活を辞めようと思った理由のひとつが「お米」でした。練習前後に体重を測るのですが、なかなかハードな練習なので、練習後に体重がガクンと落ち、しっかりと食べて、落ちた体重を翌日の練習前の測定まで戻してきなさいの指示。

それでも普段は食事は家なのでいいのですが、連休や長期の休みになると遠征や合宿などがあり、全員で食事を、ごはんを、お米を食べるという恐ろしいシチュエーションが待ち受けていました。大げさではなく、記憶にある人生における辛かった出来事のひとつです。お米を食べないという選択肢はなく、どんぶりのごはん。どんぶり?どんぶりー?

監督や先輩方を前にし、逃げ場のないわたしの最後の頼みの綱がこちらでした。

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丸美屋ふりかけ3色パック

写真はと3色パックの話はこちらから:みんなの暮らし日記ONLINE

この「丸美屋の3色パック」がわたしのどんぶり地獄を支えてくれた友、ごはんのお供です。丸美屋さんありがとう。ちなみにたらこが一番好きでした。

1週間の合宿で1本が空っぽになるくらい、お米を食べているのか、丸美屋のふりかけを食べているのかわからなくなる勢いで、ふりかけのかかったお米をじゃりじゃりいわせながら、ごまかしごまかし食べてなんとか乗り切りました。実際は乗り切れなかったので、この合宿でお米ライフはもう無理と腹をくくったわけですが。

そこからがほんとのハッピーライフ。その後、アメリカに行ってからはお米の呪縛もなくなり、なぜお米食べないのかなんて誰も聞いてこない世界。今年も、来年も、再来年もお米を食べなくていい。ああ、人生って素晴らしい。

そんな中で徐々にわたしのお米への頑なな気持ちも和らいでいきました。あれほど苦手だったお米も、食べる必要がなくなり「それほど好きではない」となりました。

お米の国に糖質制限ダイエットなるものも広まり、お米を食さない層もずいぶん増えました。お米を食べないというチョイスも受け入れられる世の中になってきたようです。

お米の苦手なわたしの人生の危機に寄り添ってくれたごはんのお供、丸美屋の3色パックでした。

 

今週のお題「ごはんのお供」