先月のブログ「1月の1枚」に、仙台の「一番町四丁目商店街」のイルミネーションが微妙という記事を書いたのですが、その商店街につながるとなりの商店街「ぷらんど〜む一番町」のイルミネーションはもっと華やかでした。
それぞれの商店街の懐具合の差なのか、単に予算のかけどころの差なのか。「ぷらんど〜む一番町」のアラベスクの美しさ、木にも同じ配色のイルミネーションが華やかです。 「一番町四丁目」のイルミネーションが生で見るともっと地味なのとは逆に、「ぷらんど〜む一番町」のイルミネーションは、生で見た方がもっとぱっとしています。
ぷらんど〜むのこの「〜」はどんな意味が込められているんだろう。気になります。そう思って今検索しましたら「〜」以上に驚くべき事実が発覚いたしました。
ここの商店街の名前、「ぷらんど〜む」ではなく「ぶらんど〜む」でした。
公式サイト → ぶらんど~む一番町|VLANDOME|
おそるべし。1993年に今のアーケード街になったそうなのですが、もとは「ぷらんど〜む」でのちに「ぶらんど〜む」になったという記述も見当たらないので、間違い無く最初から「ぶらんど〜む」だったのでしょう。
このあたりの場所を呼ぶときには、日常的には「一番町」と言ってまして、商店街名を呼ぶ機会がないのをいいことに、今の今までなんの疑いもなく「ぷらんど〜む」と思っていました。今日、このブログを書かなければ、わたしの中ではこの先も「ぷらん」のままであり続けたと思います。思い込みってこわい。おそるべしです。
なんでこんな記憶違いが起こるんでしょう。わたし自身のことを言えば、このような記憶違い、つまり間違った情報の方を間違いなく真実だと思い込んで記憶していることが多々あるんです。ひとの記憶なんてあてにならないというか、わたしの記憶ってほんとあてになりません。
そんな「記憶の個人差」を研究されている方もいらっしゃって、とてもいいことを言ってます。「記憶エラーのない、パーフェクトな人はいない。人によってエラーの仕方が違うだけです。それを理解できれば、いろいろな人がいることを許容でき、人間関係も少し楽になるのではないか」「自分の凹を他人の凸が埋める、多様な価値を許容すること、自分も他所から許容されていることを知る」
参照 → 人間はなぜ、記憶違いを起こすのか? » 早稲田大学体験Webサイト
そんなわけで(?)わたしの言うことなんて話半分に聞いてくださいという言い訳と自戒の念を込め、本ブログの「ぶらんど〜む」の誤記「ぷらんど〜む」は訂正せず、このままにしておきます。あーこわい。