死に方なんて書くと生々しい感じではありますが、死因とか具体的な話ではありません。死ぬ時こんなんだったらいいなあというもっとぼやっとした話。
いずれ誰もがたどり着くところ。どんな人にとっても1日は24時間だし、どんな人も人生のどこかの段階で死を迎え、ほとんどの場合死に方は選べない。
高校生くらいのころまでは「人生の最期は笑っていこう」と無邪気なことを(でもわりと真剣に)思っていましたが、さすがにそこまでのんきではいられないと感じる今日この頃。「好きな死に方」と書くとなんかあれですが、「理想の死に方」というか、なんとなくこんな感じがいいなあというもの10選を考えてみました。
- まあよかったな、と思いたい
- まあよかったな、と思われたい
- 他の人に迷惑をかけない
- はずかしくない
- びっくりしないのがいい
- 迎えにきてもらう
- 死ぬことに、死んだことに気がつかない
- 死んだ後の記憶もちょっとあるといい
- ワープする
- 実は夢だった(生きていたことの方が)
まあよかったな、と思いたい
これはもう言葉の通りです。大満足で後悔ゼロ、きれいスッキリ笑顔で!とまでは言いませんが、怨念や後悔を残して死ぬのは避けたいところ。自分のなかでいろいろと折り合いのついた状態でいたらいいなあと思います。
まあよかったな、と思われたい
「このタイミングで(死んで)まあよかったよね」でもいいし、「好き放題生きてきたみたいだしまあよかったよね」でもいいし、どんな意味合いにおいても死んじゃったけどまあよかったな、と思ってもらえたらありがたいです。
他の人に迷惑をかけない
人を巻き込んだり、辛い思いをさせたり、わたしが先延ばしにしてしまったことで現実的な手間や作業が複雑になったり、あらゆる意味において他の人に迷惑がかからないように(できるだけ)したい。それ以前に今の段階でも迷惑ばかりかけていることをどうにかした方がいいかもしれませんが。
はずかしくない
変なパンツ履いてたりとかそういうのは避けたい。もう死んじゃってるんだからパンツくらいどうでもいいかしら。だれもわたしのパンツなんて気にしないですよね。(念のために付け加えると、パンツは恥ずかしいものに対するメタファーなので、必ずしもパンツ的なことではないです)
びっくりしないのがいい
わたしの好きではない、落ち着かない感情、感覚のひとつが、驚いたり、ドキドキしたり(ワクワクじゃない方の)、びっくりしたりすることなのです。死ぬ時はだいたいの人は初めて死ぬわけなので、すこしくらいびっくりしてもしょうがないと思うのですが、できることならびっくりしたくない。
迎えにきてもらう
わたしはわりと夢をしっかり覚えていることが多いほうなのですが、夢の中では、家族や友人、アーティスト、作家、俳優などいろいろな人たちが、親しい度合いや、時代背景の何にも制約なく登場します。そんな感じでいろんな人が迎えに来てくれたらいいな。
死ぬことに、死んだことに気がつかない
前の日いつもと同じようにベッドにはいってそのまま・・いわゆるぽっくり願望。わたしもちょっと憧れます。
死んだ後の記憶もちょっとあるといい
死んだことに気がつかないとか言っておきながら、今度は真逆な感じですが、死んだ後ずっとじゃなくていいので、2、3日くらい記憶や意識があるといいなあと思っています。死んだことがないので知りませんが、意外とそれが主流だったりして。
ワープする
ワープって何?な感じですが、この次元が終わったら、そのまま別の次元にワープできるというのはどうでしょう。この次元からは消えてしまうというか、いなかったことになっているパターン。
実は夢だった(生きていたことの方が)
究極的にはこれが理想です。実は今わたしが現実だと思っている今世は夢なんです。「夢なんです」ってどうよですが、そういうのもいいなあと思っています。
言霊じゃないけれど、こうなったらいいなあということを言葉にしておくと実現するとか言うので、ちょっと考えてみました。後半半分は妄想感がなきにしもあらずですが、なるかならないかはその時になってみないとわからないけれど、このうちのどれかだといいなあという、わたしの10選でした。