ひつじ泥棒2

Who stole my sheep?

眠りにつくころにはもう・・10月なのですね

 

今夜、眠りにつくころにはもう10月。

年に何度も書いている気がしますが、ほんとうにあっという間。

今月半ばから、お国の事情でネット事情がもにょもにょな感じで、はてなブログを読んだり書いたりはできるのですが、その他のこと(スター、コメント、ブックマーク、そしてはてな以外のブログを読むなど)がなかなかむつかしく、気がつけばブログを読むだけの人になっていました。

この状況はおそらく10月の半ば過ぎまでは続きそうなので、しばらくの間はこのまま読むメインでいこうかなと思っています。

その間にちょっと日本にも行ったり、また上海で隔離したりする予定です。(まだ隔離やってるのーと思いますが、まだまだ隔離やってますし、2、3日に1度のPCR検査もまだまだ現役です)

今日食べた小籠包

エビがぽろんとしているのは、何かの間違いではなく、ここから左側がエビですよのお知らせでした。ちなみに右側は豚肉です。

よく見ると大きさはまちまち

有名どころではなく、上海ローカルのフードコートにあるお店。雑な感じではありますが、味は十分すぎる美味しさ。小籠包を、ちゃっと入って、ちゃちゃっと食べて、ができるのは中華圏ライフのうれしいひとつです。

いろいろな小籠包がありますが、なんだかんだと豚肉の小籠包が一番好きです。

 

MUJIの電動自転車がかわいい

 

MUJIに電動自転車が売っていました。これちょっとかわいい。

めちゃめちゃMUJIっぽいデザイン。よくよく見ると、シートとかお尻痛くなりそうな気がしたり、ちょっとした荷物を入れるカゴもないし、ライトもめっちゃ小さいし、・・・といろいろありますが、そんなところはまったく気にならないタイプなので、いい感じと思います。いろいろはぶいて、さくっとシンプル。乗ってみたいです。

ハンドルの真ん中のところがメーターとかかな?

タイトルにおもいっきり「MUJIの」と書いちゃいましたが、よく見たらMUJIとHONDAのコラボ商品でした。ん?この写真のHONDAの上に書いてある「SUNDIRO」って何でしょね。

新大洲ホールディングスと、日本のホンダと中国のホンダが設立した会社で、正式名称は『Sundiro Honda Motorcycle Co., Ltd. (SDH)』という会社でした。一応調べてみた。そしてとりあえず書いてみた。

「電動自転車」というだけあって、一応ペダルもついていますが、おそらくこれを漕ぐ人はいないのではないでしょうかね。きっと電気バイクなんだと思います。

このシンプルな形もいいし、本体のどこにも「MUJI」とか「HONDA」とか、ましてや「SUNDIRO(スンディロ?)」とか書いていないところがまたいい。

ちなみに4,980元だそうです。本日の元円レートは、1元=20.45円でした。高いのか安いのかは今ひとつわからないですが、初めて中国に来た頃って1元=14円くらいだったなあと思うと、為替レートマジックのせいで余計にわからなくなります。

日本でも販売してくれたらちょっとうれしいかも。東京に戻ったら乗りたい。(たぶん)

夏の思い出|渡し船で黄浦河を渡る

 

上海の街は黄浦河(Huangpu River)という大きな川で、東西に分かれています。西の魔女がオールド上海の歴史的建造物が並ぶ外灘(ワイタン・the Bund)、東の魔女が近未来的なビル群が並ぶ金融街の陸家嘴(リュージャーズイ・Lujiazui)です。

浦西(プーシー)は歴史の舞台にもよく出てくる街、一方浦東(プードン)は1992年に行政区となるまでは、開発されることなく上海の人の言葉をを借りると「何もなかった」というように、農村が広がるだけの地区だったそうです。

 

この河を渡るには4つの方法があります。

1)車

2)地下鉄

3)船(観光船や渡し船

4)観光トンネルのゴンドラ

whostolemysheep.hatenablog.com

車と観光トンネルは体験済みなので、いつもなら地下鉄を使うのですが、せっかくの夏休みに観光客としてワイタンにいるのだから、観光っぽいことがしたい。

余談ですが、この観光トンネルは交通手段というよりは、あくまでも観光アトラクションです。タクシーの倍くらいするので、上海にお越しの際にはお気をつけください。

ということで、今回は渡し船に乗ってみました。フェリーと呼んであげてもいいような気がするのですが、日本語のサイトで検索するとだいたい「渡し船」と書かれいます。右に倣えしておきます。

渡し船は片道2元。ちなみに、地下鉄は3元、上記の観光トンネルですと片道50元です。(本日時点1元=20.32円)

フリーペーパー「上海ジャピオン」のウェブサイトから路線マップをお借りいたしました。今回は、4で乗船し、6で下船する、メジャー観光ラインに乗ってみます。

地下鉄やバスに乗るのと同様、SuicaPasmoのような交通カードやアプリで乗ることができます。

川をまっすぐ渡るだけであれば乗船時間はおよそ5分程度なのですが、この4→6航路はエース航路らしく、市民の足という役割だけでなく、遊覧船からゆっくり上海東西の街並みをご覧くださいというサービスなのかどうかは知りませんが、乗船時間はおよそ10分。

リュージャーズイのビル群の写真を撮る乗客

夕方の外灘サイドの写真スポットとしての人気はいまいちですが
夜になるとライトアップして一気に美しさが増します

陸家嘴のビル群を撮影しているとあっという間に10分。
到着いたしました。

東のもうひとつのシンボル、上海3兄弟

浦東(プードン)は生まれて30年ほどの街なので、今のような未来都市風になったのは、まだこの10年くらいという新しい街。そして現在も開発中、広範囲に次々と新しい街が生まれています。上海ディズニーもこちら側です(行った時ないけど)。

ショッピングモールやホテルで、お茶をしたり、ご飯を食べたり、夏の夜を満喫してきました。さて、西に戻りますか。せっかくなので再び渡し船で帰りましょう。

今度は来た航路とは逆の6→4で帰ります。

行きとは違い、観光客はやや少なめ

おやおや

遠のく外灘のレトロビル群

ライトアップされたビル群の緑の三角屋根が、宿泊しているホテルの目印。出航とともに、どんどん遠ざかって行きます。

も、もしや。乗船前の写真に遡って見てみると「復興東路方向↑」の文字。

どうやら、6→4の船にのるつもりが、6→5の船に乗ってしまったようです。ええええええっと、乗り間違えたということです。乗船時間は5分ほどなので、あっという間に対岸に到着。

宿泊先まで歩いてまっすぐではありますが、スマホで確認するとおよそ2.5キロ。このころは夜とは言えど熱帯夜。タクシーもつかまらないので、おとなしくバスで戻りました。

夏の思い出の1ページ、渡し船で黄浦河を往復してバスで帰る。

 

一本裏

 

箱があったら開けてみたいし、穴があったら覗いてみたい。一本裏の道があれば、もちろん歩いてみたい。

泊まっていた外灘のホテルの裏通り

電気バイクとシェアサイクルとトゥクトゥク

歩道+気温39度+マスク

=ステキな絵

裏通りのレトロビル

一本裏といえば、ネコ

裏へ裏へと行きたくなるのは何の習性なのでしょう。

仙台の実家の団地だと、裏も表もありません。せいぜい、バスが通るか通らないかくらいの違いしかない。

街が大きければ大きいほど、最も表の通りと、最も裏の通りの差が大きいですもんね。銀座の裏通りとか結構楽しい。でも渋谷の裏通りにはさほどときめきを感じないのはなぜだろう。

ブラジルのリオデジャネイロの街の裏通りで、あの標識の先からは行っちゃダメだよと言われたことがあって、危ないの?と聞いたら「・・殺されるから」と言われたことがありました。本当か噓かはわからないけれど、ほんのちょっと誇張してるくらいで、噓ではないと思う。

上海の街は裏を歩いても殺されたりはしないから、安心して一本裏を歩けます。でも、街が碁盤の目のように区画されているわけではないので、自分では一本裏を行っているつもりが、頭の中の地図上とはまったく違うところに突き進んでいることが多いので、そこは要注意。

 

フェアモント・ピースホテル(和平飯店)で夏のお泊まり会2

 

夏休みのお泊まり会、上海外灘(ワイタン・the Bund)に建って間もなく100年(正味93年)を迎える、歴史的建造物「ザ・サスーンハウス」こと、フェアモント・ピースホテル(和平飯店)に行って来ました——のパート2。

whostolemysheep.hatenablog.com

ピースホテルのルーフトップバーから

1930年代の外灘:中央右寄りの三角の塔がついているのがピースホテル

すぐ上の写真は、ホテル内にあるピースホテル・ミュージアムにあった1枚。右手が 黄浦江(フアンプー・リバー)で、川と並行して走る通りが中山路。通りから直で船着場とは。

当時は道路からそのままニョキニョキと何本も桟橋が出ていて、生活の場感がムンムンですが、今ではすっかり整備され、プロムナードもできて今ではすっかり観光地。

ガイドツアーのあるホテルってたのしい

上海の歴史の一部でもあるフェアモント・ピースホテル、宿泊客向けにホテルツアーを実施していたので、参加させていただきました(そしてブログのネタに使わせていただいています)。今はコロナの影響で、外国人客(もしくは中国語のできない客)がほとんどいないので、英語ツアーは我らを含め4名のプライベートツアー。

公式のツアーじゃなくとも、裏ツアーと言いますか、ホテル探検は大好物メニューのひとつ。でも、いろんなところをうろうろしているとちょっといけないことをしている気にもなります。宿泊客だし、こそこそしているわけじゃないんですけどね。

いや、こそこそしてるから余計に楽しいのかも

公式のツアーでは、ホテルの歴史、歴代のメニューや食器、調度品、歴代の宿泊客のそうそうたるメンバーたちの記録など、たっぷりと見せていただきました。宿泊するためのホテルというより、ホテルそのものが観光資源。

チャップリンが演奏したピアノ(Steinway & Sons)

レセプションルームではイベント準備中

キャセイ・ホテル」として創業した1929年、このホテルは上海の租界時代のひとつの象徴でもあるのですが、その後、1949年に中国共産党によって上海が占領された後は、党関連のオフィスとしての人生(ホテル生)を数年歩みます。

1952年に上海市政府に接収、その後1956年に「和平飯店」として再びホテルとしての営業を再開しますが、世は文革の時代、上海人民公社のグループの拠点としての歴史もあったりなかったり。この辺り「鎌倉殿の13人」に劣らない悪い感じがじらっと漂いますが、このブログでは割愛。

その後は政府のホテルから、普通の(?)ホテルとなり、2007年からの3年に渡る大リノベーションを経て、2010年「フェアモント・ピースホテル」として、3つ目の名前で生まれ変わりました。

1956年の「和平飯店」時代から現在まで、変わることなくホテルの顔であり続けているのは、1階のオールド・ジャズ・バンド・バー。

Old Jazz Band Bar

ジャズバーを訪れた歴代のセレブたち

床と壁と柱は、1929年当時のまま使っているんですって。その他の調度品などは当時のレプリカだそうです。残念ながらロックダウン後休業していますが、こちらのジャズバー、場所が古いだけでなく、バンドメンバーのオールドさもギネスに載る「オールド・ジャズ・バンド」なんです。

何がすごいって、1956年から変わらないバンドメンバー、上海のアラナイおじいたち(こんな言い方聞いたことないけど、around 90・・)。それはギネス入りしますよね。

近年では誰かがお休みしたり、復活したりを繰り返しながら、コロナまでは変わらずステージに立っていたそう。以前、夫もライブに行っていました。わたしも行きたかったー。YouTubeでおじいたちの渋いライブを観ることができました。

今回のコロナでのタイミングでお休みになったけれど、あのメンバーでの復活の予定はあるのかとガイドさんに訊ねたところ、さすがにあのメンバーがそろうことはもうないかもね・・とガイドさん。「だってみんな90超えてるし」ですって。そりゃそうか。

中華ブレックファーストを満喫してきました サイコー

ホテルといえば、ホテル朝食のファンの方も多いと思いますが、お見事ですというしかない素敵な朝食でした。中洋ともに充実のラインナップでしたが、せっかくなので2日間とも中華を満喫。

日本などでちょっと素敵なホテルに泊まっている時に、中国の団体客の方達と出会うと、あまりの賑やかさ(やかましさとも言う)におののいてしまいますが、同じ高級ホテルでも、中国のホテルにいると「活気があって、これもまた良し」というか、むしろ好ましく思えるのはなぜでしょう。

廊下の天井

余談ですが・・、ホテルのデザインや調度品の中に、隠れミッキー的な感じで、VSの文字(初代オーナーのVictor Sassoonの頭文字)や、サスーン一族にが可愛がられていた二頭のグレイハウンド犬が隠れています。(隠されているわけではないのかも)見つけても特にラッキーとかいうわけではないです。

いろいろ書きましたが・・朝ごはんはサイコーです。

 

フェアモント・ピースホテル(和平飯店) で夏のお泊まり会1

 

上海の象徴ともいえる外灘(ワイタン/the Bund)エリアは、近年川の対岸も含めた広い範囲に、国内外の素敵ホテルがどんどん参入しています。是非とも新しい素敵ホテルに泊りたい、けれど、上海だからこその歴史的建造物にも泊まってみたい。

ということで、今年の夏休みは1929年に建てられた、緑の三角の塔が目印のフェアモント・ピースホテル(和平飯店)に2泊してきました。

黄浦江(フアンプー・リバー)沿いの西岸およそ1キロにわたって、19世紀後半から20世紀前半の租界時代に建てられた、22の西洋建造物が並んでいます。

それらのレトロなビルたちはほぼ当時の姿のまま、銀行、税関、ホテル、商業施設として今もなお現役。

ピースホテルは下の図の右から7つ目。先日の記事のロブションは右から9つ目。その前の広東料理のレストランは左から3つ目です。

simonfieldhouse.com

ピースホテルのことを書くにあたって、いろいろなサイトを見ていたら、ウィキペディアで美しいホテルの絵を発見。この絵を追っていったところ、上のリンク(The Bund - Shanghai)にたどり着きました。

作者のサイモン・フィールドハウス(Simon Fieldhouse)はシドニーを拠点に活動するオーストラリア人アーティスト。サイトには、ペン画、水彩画、彫刻など、繊細で美しいだけじゃなく、ウィットにとんだちょっとひねりのある作品もあり、見ているだけでワクワク。いつか個展に行きたい。

閑話休題。ホテルのはなし。

ロビーのハト(でもワシに見える)

「もしよろしければリバービューのそれはそれはビューティフルなお部屋に変更できますけどいかがいたしますか?今日ならとってもビューティフルな金額でご案内できます」と、チェックインの際、とてもビューティフルなフロントスタッフにお勧めされました。

うっかり金額を聞いてみると「ちょっと待って、すごいビューティフルなプライスよ、タラ〜ン」と軽く倍の料金のお部屋を案内されたので「ワオ、ビューティフル!じゃ、このままで」とありがたくお断り。いや、高すぎるから!ちなみにフロントの制服は私服で欲しいくらい素敵でした。

お部屋の素敵さもさることながら
足を伸ばしてもゆったりのバスタブ最高でした

ガスマスク常備
ここ数年よく見るようになりましたが、これってデフォルトでしたっけ

現在のピースホテルは、一大リノーベーションを経て、2010年に再オープンしたホテルなのですが、そうは言ってもリノベーションからもう10年以上経つわけで・・古さは否めないかな・・と来る前は思っていたのですが、心配ご無用。文字通り隅々まで丁寧に使われ、隅々まで掃除も行き届いていました。

意地悪な継母のように、あちこちを人差し指でしゅっと触ってみたのですが、どこもピッカピカ。ピースホテルで働くスタッフのプライドと心意気を感じました。清潔感あふれる歴史的建造物。

ウィキでみつけたサイモン・フィールドハウスの描いたピースホテル

上の絵を内側から撮った写真(現在は封鎖)

川面を向いた入り口は、現在は封鎖されています。なぜに・・・答えは「風水的に水面にドアが開くのはまずい」という理由なんですって。お金がじゃばじゃば流れてしまうそうです。

設計事務所のパーマー&ターナー(Palmer & Turner)が、風水を元に建設していたらよかったですね。そんなわけで、今はどうしても使いたい時だけ(オバマが来た時とか)ちゃちゃっと開けて、用事がおわったらちゃちゃっと閉めるんですって。

エレベータのタイル、すてき

サスーンハウス(Sassoon House)とも呼ばれるピースホテルの建物は、20世紀初頭、上海で100以上の物件を持っていたユダヤ系の不動産王ヴィクター・サスーン(Victor Sassoon)により、1926年着工、1929年完成。うっかりVidal Sassoon(ヴィダル・サスーン)と言ってしまう・・。

1920–30年代の租界時代の上海の繁栄は、サスーン家(またはサッスーン家)と上海の関係、つまり、それよりさらに時代を遡ったアヘン貿易など、彼ら一族を抜きにして語ることはできないのですが、それはまた別の話(・・この辺りを調べ始めるとやめられない止まらない)

開業当時はハイエンドな輸入品ブランド品を扱うショップ、銀行、オフィスビル、5階から7階にかけてはサスーン家が経営するキャセイ・ホテル(Cathay Hotel)が入っていました。

10階から上はサスーンの住居。こちらはザ・サスーン・スイート(The Sassoon Suite)として、現在はホテル一番の超豪華スイートになっています。

この他にもナイン・ネイションズ・スイート(Nine Nations Suites)という9カ国(中国、インド、イギリス、アメリカ、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、日本)をデザインした客室があったり、まあなんと豪華なことでしょう。日本のスイートには畳があったり、インドの部屋とかがあるあたり、なんか渋い。各国スイートの写真は下のウェブマガジンで見ることができます。

www.luxurytravelmagazine.com

そうして租界時代が終わりを迎え、1949年、サスーンハウスは中国共産党に召し上げられます。

 

つづく