SNSで友達のフジロック情報が流れてきたり、雨の中スタートした隅田川の花火をチキンとビールをお供に堪能したり、夏を満喫しています。
夏ってほんといいですね。夏の思い出を肴に、美味しいお酒を飲んで過ごしています。今日は、10代の頃に友人とふたりで旅をした夏のこと。
もくじ
青春18きっぷ
「青春18きっぷ」とは、全国のJRの普通・快速の普通自由席が1日乗り降り自由のお得な切符5枚組のことですが、利用者はもちろん、利用したことのない方も名前だけはうっすら聞いたことがあるのではないでしょうか。人口のどのくらいの割合の人が利用したことあるんでしょう。
友人とふたり、青春18きっぷでどこかに行こうということだけがテーマで、どこに行くとか、どこに泊まるとか、これだけは見ようとか、そういうことは一切決めていませんでした。昔のことすぎて、記憶から消えているだけかもしれませんが。とにかく5枚綴りのその青春18きっぷを使い切って帰って来るという旅でした。
スタート前の暗い思い出
遊ぶついでに切符を買おうと梅田の紀伊国屋前で待ち合わせました。日曜の朝の待ち合わせ。当時は午前中に待ち合わせをしていたんですね、若い。
そんなさわやかな朝。ちょっと早く着いて友人を待っていたところに、当時バイト先でいいなあと思っていた大学生が少し先を歩いている頭が見えました。おおおっ、ときめきつつ目で追います。ふいに人垣がなくなり彼の全体像が……見えるはずだったその横に女の子が。その子も同じバイト先の高校生でした。ちーん。青春って切ないものなんですね。
岡山の思い出
ステキな場所だなあという印象以外、ほとんど覚えていない岡山。すごく暑い中歩いたこと、暑すぎてお腹がすきすぎて、仲の良い気の合う友だちと思っていた彼女との間にすら若干険悪なムードが流れたこと。倉敷を歩いたこと、後楽園を歩いたこと。そんなことをぼやっと思い出す程度で、具体的な記憶がない岡山。ずっと後に、社会人になってから岡山には出張で何度か行っているのですが、いつも初めて行くような気持ちになります。にもかかわらず、将来住みたい候補のひとつが岡山。岡山いいですよね。
高松へ
高松は岡山以上にまったく記憶にありません。当時ふたりとも四国に行ったことがなく、瀬戸大橋を渡りたいというだけのモチベーションで海を渡りましたとさ、という記憶のみ。
なにもない旅
インターネットもなく、かといってガイドブックや時刻表、地図を見るタイプでもない、計画性とは程遠い女子2名。行くべき場所や見るべきものもなく、カメラもなく、ただただ思いつきで駅に行き、思いつきで宿を探し、思いつきで食事をする、というふたり旅。
他の旅スタイルというものをしるよしもないので、なんの疑いもなく、ふたりの性格がそのまま旅のスタイルになってしまいました。ちがうタイプの人がひとりでも入れば、せめてガイドブックくらい買ったのかもしれないのに。梅田のまちに遊びに行く時と同じいつもの服を着て、いつものクツを履き、いつものカバンで、知らない街をまち歩き。知らない街を歩きたかっただけなのかもしれません。
広島で平和記念資料館に行く
ガイドブックを持たずとも、広島に行ったら平和記念資料館に行こうということはふたりとも思っていました。戦争のこと、原爆のことは、学校の授業でももちろん扱いますし、特別授業のようなもので映画をみたり、講演などを聴くこともありました。個人的にも映画や小説を読んだり、ノンフィクションのドキュメントを見聞きしていました。それでも、その時に資料館で受けたショックは何十年かが過ぎた今でも忘れることのできない衝撃です。
広島で平和記念式典前夜
平和記念式典にも参列しました。どうしてそういうことになったのかの記憶はないのですが、式典の前夜、会場となる平和記念公園に行きました。祈りを捧げるグループがあり、被爆者や、被爆者の家族を囲んで彼らの話を聴くグループがあり、いくつもの小さなグループが公園内にできていました。夜中を過ぎても公園のあちこちに灯るロウソクの火が消えることはなく、今までテレビでしかみたことのなかった式典の、その同じ公園のまた違う一面に参加できた気がします。わたしたちもその中の一つのグループにはいり、朝まで被爆者のおばあさんの話を聞き続けました。
平和記念式典
式典当日の朝になると、たくさんの参列者が次々と公園にやってきました。ご遺族、式典関係者、来賓、そして何よりも驚いたのは世界中からやってきた僧侶たち。わたしたちが座った一般参列者のところにも、たくさんの僧侶が座っていました。まさかの両サイド僧侶。びっくりです。
いつもの年ならテレビで見ていた式典。黙祷が終わってしばらくは覚えていたのですが、前の晩の徹夜のせいか、いろんな興奮や疲れで……寝てしまいました。しかもお坊さんにぴったりと寄りかかり……。面目無い。式典中にお坊さんに寄りかかって寝るコを、起こすことなく黙って肩を貸してくださったお坊さん、ご迷惑をおかけしました。わたしもいつか別の人に肩をお貸しします。
知り合った人たち
この旅でもいろんな人たちと知り合いました。国内のあちこちから偶然あるポイントが重なった人たち。この時はインターネットも携帯もない頃なので、連絡先は住所と家電のみ。この後も数年間やりとりをした人もいました。今はみなさん、どこにいるんでしょうねえ。
よっちゃん
この旅で覚えている最後のひとつは、広島で食べたお好み焼き屋さんの名前が「よっちゃん」だったこと。今でも市内に数店舗あるようですので、きっとあのよっちゃんでしょう。
どうでもいいようなこと
思い出してみると、平和記念式典前後の記憶以外は、ぽつぽつとした記憶の断片のようなものだけしかありません。覚えていないことの方がほとんど、こんなに覚えていないものなんだなあとびっくりしました。なのによっちゃんでお好み食べた、とかどうでもいいようなことは覚えていたり。いや、もしかしたら覚えていると思っているだけで、何か別の出来事の記憶とごっちゃになっているかもしれないです。
この頃は日記を書いていたので、それに記録してあったと思うのですが、そのノートも10年くらい前に処分してしまいました。この夏の話はプラザ(当時はソニプラ)で買ったセサミストリートのノートだったというどうでもいいようなことはハッキリと覚えているのですが、肝心の中身については何も覚えていません。
わたしの記憶のほとんどは、どうでもいいようなことでできているのかもしれません。