もくじ
悲劇のプラハ城
プラハ城の悲劇(1)
お城のある街に来たら「とりあえずお城行っとく?」となります。せっかくなら衛兵の交代式が見たいねとトラムに乗ってお城にやってきました。
目の前に広がる中世の大きな教会や王宮の異次元な光景を目にし「わああああああ」と興奮し声をあげそうになったところにかぶせて「いたああああああ」という悲鳴が聞こえてきました。
ん?悲鳴?と思った瞬間、左手首に突き刺さる強烈な異物感と、ぶっすううううという音にならない音と、人生で感じたことの無いほどの強烈な刺激が、スーパースローモーションで流れていきました。視界の端には1.5 cm程度の黒いやつ。
刺されました。黒いスズメバチ的なものにぶっすりと。痛みそのものも相当痛いのですが、痛みの強さへのショック、刺されたことのショック、刺したやつを見てしまったことなど精神的なショックに大ダメージ。
激痛にのたうちまわりたい。交代式に向かう衛兵たちとすれ違い、交代式を見逃したことに気がつきました。手首痛い、でも写真撮りたい、ちょいちょい衛兵の行進の真似をしながらついてくる後ろのおじさんが邪魔。
プラハ城の悲劇(2)
「プラハ窓外投擲事件(そうがいとうてきじけん)」(又は窓外放出事件ともいう)というのを知りました。
世界広しと言えど、窓から人をポイっとする事件なんて初めて聞きます。人を窓から捨てるなんて、シンプルでプリミティブな狂気。恐ろしや。
時代や発端や、事件後の影響は違えど、第一次プラハ窓外放出事件から第三次まであるそうです。写真の絵は第二次のもの。
プラハ城の悲劇(3)
9世紀に建築が始まって増改築を繰り返してきた、世界で最も古く、最も大きなお城のひとつのプラハ城。街から眺めても、城内を歩いても、その大きさに圧倒されたり、細やかな造りやステンドグラスにうっとりしたり。かと思えば、大胆すぎる増築っぷりにも度肝を抜かれました。
ぎゅうぎゅうカレル橋
いろいろなサイトに「日中は大変混雑しているので、早朝や夜中がオススメ」と書かれていました。早朝か夜中とかって無理すぎです。祭か大移動か、戎橋かカレル橋かという大盛況っぷり。ワールドカップ優勝となった日には、やはりこの橋からヴルタヴァ川に飛び込むのでしょうか。
愛の橋(正式名称不明)
上のカレル橋プラハ城側のすぐ近く。偶然通りかかった南京錠で永遠の愛をロックする愛の場所。プラハにもあるんですね。
ふたりの名前が書いてある南京錠がほとんどでしたが、中にはなにやら絵馬並みにがっちりといろいろ書いてあるものもありました。ふふ
有名人のお墓(ヴィシェフラト/Vyšehrad)
友だちに聞いた、ドヴォルザーク、スメタナ、ムハのお墓。美しい眺めの高台にあるヴィシェフラト城の国立墓地にも行って来ました。脳内BGMはもちろんスメタナの「わが祖国」で。
高台からの川や対岸を見下ろす眺めも圧巻でした。ドヴォルザークのお墓前で、キメッキメポーズで集合写真を撮るアルゼンチンのおばさま方も圧巻。
世界最古のキュビズム建築「黒の聖母の家」
20世紀に入りピカソらが生み出したキュビズム(立体派・立体主義)という芸術運動。その後の芸術界に大きなインパクトを与えるキュビズムですが、その幾何学的な特徴のあるデザインを建築に応用したのはチェコだけだそう。
6階建のデパートとして建てられたこの「黒の聖母の家」、現在はキュビズム美術館となっており、1階にはカフェとミュージアムショップがあります。
プラハの街をお散歩していると、キュビズムの影響を受けたデザインをあちこちで見ることができます。有名人のお墓で訪れたヴィシェフラト地区には、キュビズム建築が多く残っています。
踊るダンシング・ハウス(1996)
中世の街並みと称されるプラハの街に、一際馴染まない面白い建物。建築当初はプラハにこんな奇抜な建物いかがなものかと言われたそうですが、観光客も増え、知名度もアップ、今ではなんとなく馴染んでいるそう。
全部載せたくなるのですが、気になったもの6つに絞ってみました。次は気に入ったものをいくつか書いてみたいと思います。
書きたいことだらけのプラハ散歩ですが、先日書いた中のひとつに「意外だったプラは(前半)」というトピックがあるのですが、その「後半」に何を書きたかったのかが思い出せないでいます。後半に残すくらいだから結構意外〜と思ったはずなのに。