ひさしぶりにのんびりと仙台に滞在していたため、おさんぽの時間も取れました。知らない街のおさんぽもたのしいですが、勝手知ったる街を歩くのもこれまたたのしいものです。
懐かしい記憶と、わりと最近の記憶が歩いているとごちゃごちゃになって浮かんできます。若気のいたり的な恥ずかしくて思い出したくないと思っていた黒歴史が、いつのまにかその詳細をまったく思い出せなくて、もう全然恥ずかしくないどころか、むしろなんだったか気になって思い出したくなりました。老化ってこわい。
街を歩いて感じたのは、体感記憶の仙台よりも、実際の仙台の方がずっと小さかったです。これは仙台は思っていたより小さかったというのではなく、あくまでも感覚的なことですが。今の生活と比べると、車生活が基本だった仙台では、歩く行為が圧倒的に少なかったので、東京の感覚でぼーっと歩いていると、あっという間に思っていた以上の距離をいってしまって、行こうと思っていたところを通り過ぎてしまっていました。
人の感覚っていい加減なものなんだと、自分の感覚は半分くらい信じて、半分くらいは疑ってかかろうと思います。
仙台といえば稲荷小路や虎屋横丁を有する「国分町」という東北を代表する飲食店屋街が有名ですが、国分町以外にもいろいろな横丁が存在します。その多くが戦後の焼け野原にどさくさ紛れに建てられた味のある通り。
巨大バラックアーケード街のように見えますが、実際そんな感じです。再開発とか区画整理なんぞどこ吹く風といった体の通路2本、全長120メートルもある圧巻のバラックアーケード。戦後直後からのような佇まいのお店もあれば、かわいい雑貨屋やカフェもあります。
横丁デビューは学生の頃ですが、こどもの横丁と違い、おとなの横丁デビューは仕事をするようになってから。連れて行かれた横丁の、ザ・昭和のカウンター店に連れていってもらい、友人と一緒の時には頼むことのない渋いメニューがならんだり、寒い仙台では滅多お目にかかることのない(ですよね?)かさこそする生き物が走るのを目にしたり、おとなの入り口に心も体も震えたものです。
いろは横丁のわりと近くにある仙台銀座。銀座の名にふさわしい、といいたいところですが、ブログにするのもはばかられる銀座です。ビルの中に取り残された10店舗ちょっとの一角。その存在を知ってはいましたが銀座に足を踏み入れたのは初めてです。長く仙台にはいましたが「銀座にいこう」と誘われたことは一度もありません。時間が歪んだような不思議な空間でした。もちろん現役です。
いぶし銀な雰囲気を醸し出してはいますが、ひそっと使ってみたい素敵なお店もあったりしました。ひとりかふたり、さくっと飲むのに良さげです。やはり、銀座は大人の街ですね。
夕方になり、仕事を終え飲みに出る人たちが増えてきました。GWの合間の平日、わたしは勝手に連休にしていますが、仕事終わりの会社員たちの姿をみて、今日が平日だったことを思い出しました。
久しぶりに会う友人と、本町にある「玄孫(やしゃご)」へ向かいます。大人になると車でドアドアの生活をする人が多い仙台人の中、町歩きを楽しむ彼女は、表通りはもちろん、一本、二本と裏に入ったところにあるお店をよく知っています。お店の近くの歯医者に通っていたので、懐かしさもあり一粒で二度美味しい。