ひつじ泥棒2

Who stole my sheep?

銀座で堪能する絶品野菜とお肉のコース

 

夫のお誕生会と中国ライフお疲れさま会を兼ね、銀座に出向いた我ら。

お銀座の夜

銀座しゃぶ通 好の笹(よしのささ)

たっぷりのせいろ蒸しの野菜と一緒に、A5ランクの松阪牛リブロースと鹿児島の黒豚ロースを満喫できるコースが、クレジットカードに付帯しているレストラン特典(2名以上の予約で1名分無料)で食べられちゃう幸せ。

お肉・お魚・お野菜の先付けでカンパーイ

「写真撮りますよね」とポーズしてくれる

お肉さまのお写真も(毎回やってくれる)

お店の方がすべてやってくれるので、しゃべって・食べて・飲んで・に全集中できる

うまみたっぷりの野菜がおいしいの

お豚さま最強でした

野菜を美味しく食べるワールドカップがあったら、間違いなく日本が優勝だと思う

シメの稲庭うどんってなにー、ステキすぎる

黒糖のグラニテ、デザートのセンスもアッパレ

話をしながらたっぷりと美味しいを堪能。幸せと言いつつも、野菜と薄切りのお肉で大満足できちゃうなんて、ちょっとだけ切ない気もする。我らもいい年頃となったものだ。

ふう、食べた食べた、飲んだ飲んだ。

魅惑の町中華でカンパイ|浅草橋

 

「上海の花粉症のピークも、日本の花粉症のピークも外して、わたしはなんてラッキーなのでしょう」と帰国前のブログでほくそ笑んでいたのだけれど、いやいやいやいや。確かにピークは過ぎたのかもしれないけれど、死にそうな程度にはがっつり花粉飛んでいらっしゃる。

間に合わないと思っていた日本の桜には間に合ったけれど、花粉にも間に合ってしまった。上海の花粉も今年は早かったし、結局どちらの国でもたっぷり花粉を浴びている。

さて、帰国して最初の夜ごはん。

食べたいものがたくさんある中ファーストバイトに選ばれたのは、明治30年創業の町中華、浅草橋の「水新菜館(ミズスイシンカン)」。よくテレビでも紹介される、蝶ネクタイのマスターでも有名な町中華屋さん。

ごはん時はいつも行列なので、タイミングよく入れれば・・

入れた!ザーサイで乾杯。ぷはーっ

なんて読む漢字なんだろう。今度行ったら聞いてみよう

テーブル調味料入れもかわゆい

空の下で食べる町中華は最高

水新菜館の名物メニュー、あんかけ焼きそば

そしてわたしの大好きなツンロー麺(葱肉麺)

どっちも涙が出るくらい美味しかった。やっぱり日本で食べる町中華、サイコー。中国の中華ももちろん美味しいけれど、日本の町中華はまた別ジャンルとして確立されたおいしさ。そしてその中でも水新菜館のあんかけ焼きそばとツンロー麺はいつ食べても大満足の味。

テーブル席が空いていたら、お料理ものをアテにのんびりワイン(お隣に五代目のワインバーがある)を楽しもうと思う。

上海のラストさんぽは、シュールでミステリアスな迷路のような路地

 

今までも何度かブログに登場した愚园路(ユーユエンルー)。静安寺(ジンアンスー)から中山公園(ジョンシャンゴンユエン)までのおよそ2キロほどの1本道。中間らへんの1部区間は立ち退きが進んでいるみたいなので再開発が始まるのかな。中山公園側は上海のメジャーカフェストリートのひとつ。

租界ではないけれど、租界の外側に勝手に広がっていった租界のようなエリアで、通り沿いに1900年から1950年に建てられたお屋敷や建造物が並ぶ愚园路は、上海市に12ある歴史文化風貌保護区のひとつ。

その中の、と言うか上海の中でも最もミステリアスな裏通り(弄|ロン)とそこに集まる住宅たち(弄堂ロンタン)が、わたしの最後の上海さんぽ。「愚园路749」を歩いた。

愚园路から東諸安浜路(ドンジューアンバンルー)までの一本道が愚园路749弄のメインの通り(路地の中の大通り)。ふつうは路地(弄)は路地に沿って家やアパートが並ぶ作りなのだけれど、ここは「弄堂ー側弄堂ー小側弄堂ー秘密通路ー弄堂」という、まるで迷路のような構造になっている。

租界時代や上海解放後の政界の表の権力者や裏の権力者、そして時代を暗躍したスパイたちが住んでいたり、スパイの待ち合わせ場所があったりと、ミステリー小説の舞台が現実にあった場所なのだ。すごいー。

愚园路から見る749弄の大門(車が止まっているところ)

門番や門番のお友達が座る

東諸安浜路側の門

通りの反対側には日本人や外国人が多く住むサービスアパートメントや、老舗のイタリアンレストランがあるところ。

上の地図の右下の★がここ

門の中はこんな感じ、右側には10畳ほどのお花畑

18戸が入っている

地図下の右の★から左の★を見るとこんな感じ

左手は煉瓦造りの4階建てのタウンハウス

通りの先の右手はまた違った雰囲気のアパートメント

こんな路地だけど壁にはEV車のチャージャー

地図左下★の向かい側。怪しげな門を入ると

花壇を囲むようにアパートが建っていた

ねこさんもちょいちょい

31号は(ちなみに数字はきちんと並んでいるわけではない)

青いドアが可愛いアパートだった

63号は当局特務委員会の上層部メンバーで、毒殺された政治家の旧邸

29号はキリスト教指導者で蒋介石宋美齢の許婚者、余日章の旧邸(パネルは画像翻訳

近代的な豪華な門があったので入ってみる

健康広場だった(中国もこういう広場がけっこうある

ねこさんについて行ってみる

28号のついで感が・・

その28号

100歳前後のアパートたち、いつまでもつかな

レトロでかわいい

3月末だったのと曇り空だったのでこんな感じだけれど、もう少しすると蔦が生い茂っていて迫力のある路地になるはず。

写真はほんとうに一部で、塀の中に小さな塀がいっぱいあって、もっとたくさんのもっと謎めいた建物があって、しかもその建物たちが100歳前後で現役だったりする・・。しかも、住所はみんな「愚园路749」。

デリバリーの電動バイクが目的の玄関を探して右往左往しているところを、ねこさんやいぬさんが眺めている様子がシュールだった。

この日の朝に上海のアパートの退去チェックが終わって(退去チェック後も1泊させてもらった)からの、ほんとにラストさんぽ。

そして翌朝の便で東京に戻りましたとさ。

そろそろ1週間が過ぎるところ。

まあ、ぼちぼち

 

上海の壁に囲まれた小さな町|上海弄堂(ロンタン)

上海特有の古い時代の居住形式の弄堂(ロンタン)。都心の駅近エリアにもドンとある。そんな中心部の弄堂2つ。よく寄り道する弄堂だけれどあらためて写真を撮ったのは初めて。

ひとつ目は「淮海坊(ファイハイファン)」。地図を見るとグッチやブルガリの文字が見えるように、iapmという高級ショッピングモールのすぐそば。

7年、iapmに初めて来た時に周辺をちょっと歩いてみようと迷い込んだ弄堂。Apple Storeプラダだなんだと言っているすぐそばに、こんなタイムリープしたような場所があるなんてと、上海の魔都っぷりにときめいた思い出。

フランス租界時代の目抜通りAvenue Joffre(現・淮海中路)と、Route Mercier(現・茂名南路)の交差点、キャセイシアターがあるところ。地図の上に見える緑のエリアは、日系のオークラガーデンホテル上海のお庭。

右がキャセイシアター、左奥がオークラガーデンホテル

1924年に建てられたこの弄堂(ロンタン)は、中華民国時代の著名人(巴金、徐悲鴻、胡蝶など)が住んでいたところで、家の前にはプレートがある。

交差点のユニクロやGUの隣のセオリー(日本のお店ばっかり)の隣にある、北門から入ってみた。

ここに入っていいの?みたいな門煙突のある赤煉瓦がチャームポイント

中国中どこにでも掲げられているスローガン

住んでみたいなあ

補修工事してる

南門(南昌路X茂名南路)

中国共産党のスローガン(社会主義核心価値観)、こっちにいる間に中国読みで覚えて帰ろうと思ったけど、まったく覚えられなかった。去年ロンドンで赤い文字でこのスローガンが書かれたニュースを見た記憶があるのだけれど・・。あれはどうなったんだろう。

 

もうひとつの都心の駅近弄堂(ロンタン)は、「静安别墅(ジンアン・ビエシュー)」。歩行者天国になっている茂名北路を挟んだ張園(ジャンユエン)は1882年に建てられた上海の代表的な歴史建造物が並ぶエリア。こちらはコロナで長引いた再開発工事がようやく終わり、2022年に上海の新しい顔として生まれ変わった。

ヴィトンやディオールをはじめとしたハイエンドブランドが並ぶ張園の道路を一本挟んだすぐ側、そんな華やかな変化が起こったことなどまるで気がつかないかのような静安别墅がある。

南門からスタート

まっすぐに行くと2024年6月閉店の百貨店

さよなら伊勢丹(1回しか行ったことないけど)

南北を結ぶ通りの両脇に3階建てのアパートが並ぶ、900戸あるみたい

ちょっと前まではお店も多かったようだけれど今は住宅メインなのだそう

オウムとマオ

お花だらけのお家もあれば

浅草の路地のおうちみたい

静安别墅の書体がかわいい北門でゴール

上海の、壁に囲まれた小さな町(小区と呼ばれる住宅地)って独特だなあと思う。門に慣れていない日本人としては閉まっている門を開けて勝手に入るのにちょっと抵抗がある。もう慣れたけど。

隆昌路の古い集合住宅、上海の共同租界

 

もうすぐ帰国だというのに最後まで何をしているんだろう・・・と思いながら、今日は楊浦(ヤンプー)区の古い集合住宅を見に行ってしまった。

地下鉄12号線の隆昌路(ロンチャンルー)駅で降りて駅名と同じ通りの隆昌路を行く。このあたり、租界時代は共同租界が置かれていたところ。隆昌路の周りを見るとそれっぽい建物の名残(保存されているものも、廃墟となっているものも)がある。

造りが福建土楼の四角バージョンみたい

本日のごちそうは、隆昌路362号、隆昌公寓(ロンチャンアパート)と呼ばれる集合住宅。共同租界の警察職員の住宅として1930年に建てられた。イギリス人の建築家の設計。近年一旦取り壊されかけたのだが、市の優秀歴史建築に指定され解体を免れたのだそう。

建物は上海では初めて見る回の形。日本だったら「口の字」と表現しそうだけど、入り口のプレートには「回」に設計されていると書かれている。

四隅と、下の写真で出っ張っているところが階段。当時はエレベーターがあったそうなのだけれど今は使えない。250部屋ある6階建てアパート。


階段も、廊下も、空間も、全部自分の家扱いだった。

通りに面した壁は赤煉瓦、内側はうちっぱなしのようなコンクリート。突き出る物干し竿を見ると、やっぱり上海だなあと思う。

上海でいちばん心に残っているものって・・やっぱり古い建築物(と外干し文化)なのだろうなあと改めて思う。

仔猫が2匹

旧フランス租界のノスタルジックな上海弄堂(ロンタン)

 

弄(ロン)は路(ルー)より小さい単位の通りのことで、路地のような道。そしてその路地に並ぶ2、3階建てのメゾネット形式の住宅を弄堂(ロンタン)と呼び、上海界隈特有の居住形式なのだそう。1845年からの上海の旧租界(外国人居留地)内の中国人向けに建てられた弄堂が今も上海の街中に残っている。

超高層ビルやリノベーションされた素敵上海はもちろん、100歳越えの建物も多く、現役のアパート群ではあるものの、いつ再開発の対象となり消えていくかもしれないノスタルジックな弄堂。

まずは旧フランス租界の1930年に建設された、上海らしい木造れんが建築の歩高里(ブーガオリー)。簡体字のブーは「步」、日本語の漢字は「歩」。間違い探しみたい。

青の点線の区画が歩高里

陜西南路(シャンシーナンルー)の入り口

メインの通りは庇付き(空飛ぶセーターは上海干し)

建物のつなぎのディテールも凝っている

上海の外干し文化はどこまで続くのかな(猫がいるよ)

キリリ

他にも見学者がいた

黒板アート、住民の方が描いたのかな

建国西路(ジエングオシールー)側の入り口

次に上海に来るまであるかな、という刹那的な美しさがよけいにキュンとくるー。