ひつじ泥棒2

Who stole my sheep?

怪しい「猫を探してます!」

 

ピンポーン

はいはーい、玄関を開けると20代半ばの女性が1人立っていました。

「すみません、猫を探しているんです」

A4用紙にプリントアウトした猫を探していますのチラシを手渡されました。おおおおなんとーーー!猫ちゃんかわいそうにーと思いながら真ん中の猫の写真に目をやると……。

チラシの真ん中に猫の写真が載せられているのですが、あまりに荒い画像で、世界中の10分の1のネコはこのタイプに当てはまるんじゃないかしらという、かろうじて猫だということだけはわかるレベルの写真。猫を探す目的で作ったにしては、お世辞にもうまくできているとは言い難いチラシです。

(ポスティングではなくわざわざ手渡しで人の家を回るくらいなんだから、真剣度は高いですよね?いやいやいや、いくらなんでもこの写真でいなくなった猫が見つかるはずはないよね?)いろんなことを考えながら「あ・・・どのくらいの大きさですか?」と聞くと、

「あ・・・ふつうです」

その答えがもうふつうじゃない!そしてこのポスターも見れば見るほど怪しい。

 

f:id:pucayu:20210714211945p:plain

荒い画像以外の猫の情報ゼロ。どこでいなくなったのか、いついなくなったのか、猫の特徴、猫の名前だって書いてない。書いてあるのは上の情報だけです。(そのままチラシの写真を貼るのがこわくて打ち直してみました。ちなみに本物の猫の写真はもっと荒い写真でした。)

怪しさはむんむんなのですが、一応もう一度「おうちどの辺ですか?」と質問を投げかけてみました。同じ町内の人なら「1丁目です」などと丁目で答えるだろうし、近隣の町内ならば「XXXです」と町名を答えるはず。すると、彼女はこう言いました。

「上の方です」

まさかの「上の方」とは。あまりにの斬新な答えにびっくりです。もちろん我が家の上の方に猫山さん(仮名)はいらっしゃらないんですけどね。

「じゃあ」と女性が軽く頭を下げ出て行くので気になって外を見ると、同じくらいの年齢の男性が1人立っていて、ふたりでさささと去って行きました。いくらなんでも怪しかろう。ちなみに去って行った側のお隣の家には寄った気配はありませんでした。

なんでしょう、これ。猫探し?何探し?いなくなった猫を探しているのではなく、猫が欲しくて猫を探しているのかしら。いやいや、そんなので他人の家を回ったりしないですよね。何が目的なんだろう……

猫山さん(仮名)の携帯にかけたら、猫ギャングの巣窟のようなところにつながって、一生猫にかしずく奴隷要員として連れて行かれてしまうのかもしれません。そんなことになるのなら、我こそはと志願者が多い気もするのですが……

 

 

己のさじ加減なヒトサラ|眞野屋

 

アルゼンチンが28年振りの南米制覇、イタリアが53年振りのユーロ制覇を成し遂げたその思いの熱量には届きませんが、わたしにもひっそり一念通天となった1皿があります。

今回訪れたのは、健康と美をコンセプトに日本中から選りすぐった生鮮食品、加工食品、生活雑貨の販売と、カフェ、ベーカリー、レストランの飲食施設を運営している「眞野屋」です。

提供される商品の白砂糖不使用の徹底や、商品を提供する際の資源の削減や環境への配慮を怠らない、お客様により良いライフスタイルをと事業を営む眞野屋。

f:id:pucayu:20210627104147j:plain

「眞野屋」https://www.manoya.co.jp  トラクターの右奥はマルシェ、左奥は雑貨

眞野屋のかき氷に興味がとってもあったのですが、こちらのお店、かき氷時間というのが設定されているようで(今回は3時30分からでした)わたしの来店時間とタイミングがなかなか合わず、昨年は食べることのできないままシーズンが終わってしまいました。今年こそは!

いただいてきたのは「ダルゴナ風 雪室コーヒー」です。ダルゴナ?タルゴナ?どちらが正確な発音かは定かではないのですが、ダルゴナコーヒーは韓国発のミルクの上にふわふわのコーヒークリームが乗ったドリンクです。こちらのかき氷にも、タルゴナ風の生クリームが乗っていて、周りにはぐるっとコーヒーゼリーという美味しい1皿。

f:id:pucayu:20210627104119j:plain

f:id:pucayu:20210627103406j:plain

上に乗っているクリームが、もったりとしていて程よい甘み、さらにしっかりとしたコーヒーの風味もあり、クリームとゼリーで氷を食べるという感じです。おまけでナッツの食感がいい遊びとなっています。氷にもシロップはかかっている(何かがかかっているのは視認できるけれど味はほとんどない)のですがこちらはかなり薄味なので味のメインはクリームとゼリー。

クリームの甘みとコーヒーゼリーのほろ苦さを、自分のスプーンでバランスをとりながらいただくようになっています。まさに己のさじ加減。 

f:id:pucayu:20210627104130j:plain

大変美味しくいただきました(7杯目)

 

宗教2世とか、コミューンとか—晴耕雨読

 

読んでいるブログで紹介されていた今村夏子の小説『星の子』を読みました。いわゆる宗教2世と言われる、親が宗教に入っている子どもが主人公のお話です。

レビューの面白さに興味をひかれたのと、この1年ほどやたらとあちこちで「星の子」と名のつくグループなどを見かけることが多くて気になっていました。(先日もかき氷を食べ終え外に出てたら星の子なんとかというグループのチラシが電信柱に貼られていた)

いわゆる宗教2世の女の子の話ですが、地下に閉じ込められて洗脳したりするホラー系のヘビーな宗教ではなく、でも同じクラスにいたら違いはわかるだろうなという感じ。きっとこういう宗教2世の子どもたちって結構いるんだろうなと思いながら読んでいました。そして同じ環境で育っても、その子どもによって受け入れ方(拒み方も)はまったく違うのだろうな、宗教でも、宗教じゃなくても。

星の子で宗教2世のことが気になって、次に手に取ったのは村上春樹の小説『1Q84』です。宗教そのものの物語ではないのですが、宗教2世も登場しますし、最初から最後までずっと宗教がバックグラウンドミュージックのように小さな音で、時に大きな音でかかっているような小説です。

新宗教新興宗教と呼ばれるものってどのくらいあるのだろうとウィキペディアを開いてみると、ものすごい数の団体があり数えるのをやめました。中には「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」という冗談のような団体までありました。お祈りの時には「アーメン」ではなく「ラーメン」と言うそうです。すごく気にはなるのですが、本日の主題から遠く離れていきますので、これはここまでにしておきます。

十数年振りに読んだ1Q84、懐かしいけれど新鮮な読後感でした。

1Q84のBook1を読んでいるときから、もう次に読みたくてうずうずと気になり始めたのが「コミューン」についてです。宗教など(宗教ではなくとも)一定の思想を共有して、生活を共にする共同体の「コミューン」。

二十歳を過ぎたばかりの頃に友だちから、<宗教のような宗教ではないようなコミューンに入った友だちの話>というのを聞いたことがあり、1Q84を読みながら、そのとあるコミューンに移り住んだ家族(当時、夫婦と1歳くらいの子どもの3人家族)のことを思い出していました。あの家族は今どうしているんだろう。あの子は何歳になったんだろう。

コニューンに生きるというこが気になり、次に読んだのが原武史のノンフィクション『滝山コミューン九七四』。タイトルだけで選んだので、読もうと思っていたタイプとはまったく違う話でした。宗教ではなく、70年代の東京都東久留米市の滝山団地、団地住人の子どもの為に作られた小学校という特殊とは言えない環境の中で母親、教師、子どもたちの間に作られた集団思想や結果としてある種宗教のようなコミューンのことを、作者が小学校を卒業して30年後に書いたドキュメンタリーです。

 

日本では憲法で保障される信教の自由ですが、子どもにとっては選択できるものではなく、生まれついた環境そのものが生きる場所。それを言ったら、生まれた地域や国によって、宗教も宗教のようなものも、決まってしまうこともあります。子どもは、成長して自分で判断ができるようになるまではなんとかそこで生き延びるしかないのでしょうか。

信仰心(宗教じゃなくとも)のある人は、生きていくうえで心の拠り所があるわけで、自分自身の選んだものであれば、それが良いとか悪いとかではないと思います。でも、そこにたまたま生まれてしまった子どもとなると簡単にコメントできない気持ちになります。

その拠り所が、宗教だったり、コミュニティーや、政党や、所属する学校や団体、スピリチュアル的なもの、場合によっては応援するサッカーチームだって信仰の対象になり得ます(アルゼンチンとか!)

そうなると宗教とカルト、教えと洗脳の違いってどこで線を引くんだろう。自分が子どもでまだ線を引けないとすれば、誰が引いてくれるんだろう。

 

ドミノのように次々と気になるものがバタバタとやってきて大変。無限ループにはまりそうですが、 梅雨だし、コロナ禍だし、晴耕雨読の生活なのでいいですかね。

 

 

わたしってわりと粘着質だったのね|松華堂菓子店

 

仙台から1歩出て松島へ行ってきました。昨年は、写経会やら、写仏会やら、座禅会やらとちょこちょこと出かけた松島。

松島に行くときにいつも寄るのが「松華堂菓子店」です。懐かしい感じのカステラがとても美味しいお店です。2階の喫茶室ではこれまた懐かしい感じのプリンが絶品。1階のお土産やさんとおせんべい屋さんもとてもステキです。

行くたびに訪れた松華堂ですが、昨年はひとつ心残りがありまして……。夏季限定のかき氷が食べられなかったのです。

コロナ前だったら、シーズンに食べ逃したかき氷が1皿くらいあってもさほどなんとも思わなかったと思うのですが、めっきり外からの刺激が減っている昨今、食べることのできなかったこの1皿のことをオフシーズンの間執念深く思い続けていたわたし。

あの氷はいつ始まるんだろう、SNSにあがってこないかしら、ちょっとしたストーカーのようにつきまとっていました。意外に粘着質な人間だったんですね、わたし。コロナ禍で浮き彫りにされた人となり。

f:id:pucayu:20210626145303j:plain

松華堂菓子店

f:id:pucayu:20210626145400j:plain

お2階です

f:id:pucayu:20210626145758j:plain

氷、やってる

こちらでは2種類の氷を出しています。

ひとつは、練乳あずき
もうひとつは、はちみつレモン

f:id:pucayu:20210626150041j:plain

わたしは、アカシアのはちみつシロップとレモンの氷

f:id:pucayu:20210626145810j:plain

レモンをぎゅっと絞って、はちみつ水をかけながらいただきます

松華堂菓子店のおかし作りのコンセプトは「なつかしくて、あたらしい」。昔のよいところと、今のよいところを融合させてできたカステラやプリンたちが魅力で、それが食べたくてつい松島に行ってしまいます。(車のない生活をしているので松島遠いんです)
そしてこのかき氷もそう。氷と、純正アカシアはちみつ、そしてレモン。これ以上ないシンプルな食材。なのにこのステキな感じ。食材にこだわったり、プレゼンテーションにこだわったりすることで、このかき氷が食べたくてついつい松島に来てしまいました。(しつこいようですが、松島近くはないんですけど)

f:id:pucayu:20210626145506j:plain

ステキな感じ

大変美味しくいただきました。6皿目。

ごちそうさまでした。

 

サステナビリティとからくり人形

 

いつもは気にならなかったのに、突然視界に入ってきて気になったものがありました。この1年ちょっとの間、月に1、2度は通りかかっていたのに、今までまったく気に留めていませんでした。

f:id:pucayu:20210630152752j:plain

f:id:pucayu:20210630152756j:plain

ここは「マーブルロードおおまち」という名前の中心部のアーケード街のひとつ。写真のような感じに柱が一定間隔で並んでいます。気になるのはこの柱の上部。何かがいるみたいなのです。前からこんなのいたかしら?

こうやって写真で見ると、視線よりずっと高い位置にあるので、自然に歩いているだけでは柱のみしか目線には入ってこなかったのかもしれません。が、気になるとこれけっこう気になります。近寄って見てみました。

f:id:pucayu:20210630152736j:plain

金太郎さん

f:id:pucayu:20210630152712j:plain

浦島太郎さん

f:id:pucayu:20210630152723j:plain

一休さん

昔話に登場する主人公たちがいました。

なぜに昔話の主人公?という疑問はとりあえず置いておき、前からいたかしら?と検索してみたところ、2019年4月にアーケードの改修工事を機に登場したようです。少なくともわたしが今回仙台に住み始めた時点ではいたらしい。ほほう。

こちらのリンク「仙台・話題の現場」のサイト情報によりますと、この人形たちは新しいものではなく、再登場なのだそうです。昔は決まった時間に動き出すからくり人形として設置されていたのが、お人形部分が撤去され、この柱だけが15年以上そのまま放置されていたようなのです。ほうほう。

アーケード街を歩いて行くと、上記の写真の金太郎、浦島太郎、一休さんの他に、かぐや姫一寸法師、桃太郎の全6体が鎮座されていました。

からくり人形と言えば、実は仙台はからくり人形タウンだった過去を持つ街。覚えている限りでは、仙台駅前にあるデパートの壁面、サンモール一番町アーケード街の上部、広瀬通のディズニーストア前のからくり水時計がありました。どのからくり人形も、時間になると音楽とともに動き、街行く人々に安らぎと癒しを届けていました。

しかし、からくり人形や時計の老朽化や故障にともない修繕が必要になった時に、商店街で予算がつかなかったり、制作した会社がすでに廃業していたり、そのまま直されることなく放置、やがて撤去され、姿を消していったそうなのです。

市民の安らぎと癒しのためにそれなりの予算をかけて登場したからくり人形、直せないので撤去しますと再び予算をかけて解体するなんて、令和の今となってはいかがなものでしょうという感じですが、サステナブル時代以前はまあまあありだったのでしょうね。

現在あるのは、この2019年4月に復活した元からくり人形(動きません)のみのようです。

この昔話シリーズのように、過去に撤去された他の人形たちも、実はどこかでひっそり保管されていて、いつかひょっこり再登場なんてことがあったらいいなあと思っています。

 

 

世の中には意地悪な人や怖い人がいるらしいと知る|テレビアニメを見て泣く話

 

「最近急に涙もろくなって……歳ねえ」などよく聞きますが、私自身は泣くか泣かないかでいえば、わりと泣かない寄りの普通くらい。それでも、叶わない思い、困難に打ち勝つ人、成長する子ども、チームの絆、親子の愛、友情、愛、死、動物たちに心を揺れ動かされ、グッときます。実際には感涙まではいかず、鼻の奥がツンとするくらいですけど。

本日は感動で泣ける話ではなく「恐怖の涙」の方の話。

こどもの頃、テレビアニメなどを見て怖くて泣くということがよくありました。怖くてテレビが見ていられないので、テレビを消したり、居間から離れ自分の部屋に戻って泣くのです。その恐怖たるや……。下に挙げる3つは、その中でもトラウマレベルのテレビアニメです。

例えば、『トムソーヤの冒険』のインジャン・ジョーがひたすら怖かった。体が大きくて、凶悪な人物のインジャン・ジョー。恐ろしさに拍車をかけるのは、村の大人たちですら彼を恐れて手出しができないところ。大人たちが助けてくれなかったら、もうやられるしかないじゃない……と泣きながら2階に逃走する。

f:id:pucayu:20210624144226p:plain

インジャン・ジョー

アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーさんも相当怖かった。ハイジを叱りつけるシーンはもちろん、「あなたはアーデルハイドです」とハイジの名前すら呼んでくれない。ハイジの存在すら全否定し、キンキン怒鳴りつけるロッテンマイヤーさん。しかも、クララに対するのと、ハイジへの態度があまりにも違う理不尽さ。それはハイジだって夢遊病になっちゃいます。ロッテンマイヤーさんが出てきたら怖くて、やっぱり泣いて逃げるしかない。

f:id:pucayu:20210624144010p:plain

ロッテンマイヤーさん

なかでもわたしにとってトラウマ度の高いのは『キャンディ・キャンディ』のニールとイライザ。人ってあんなに意地悪になれるんですね。なんなのあの底意地の悪い兄妹。ニヤニヤしながらキャンディに意地悪をするふたりがテレビに大写しになると、あの意地悪に耐えられず即逃げ出していました。人間不信になりそうな恐ろしさ。実はキャンディのことが好きだったんだとかニールが後から言うのですが(うろ覚えですけど言ってましたよね)、気持ち悪っ

f:id:pucayu:20210624144055p:plain

ニールとイライザ

それぞれの物語自体はとてもよいお話ですし、こどもの頃に見た好きなアニメーションと言っても差し支えありません。大人になってもう一度見たり、原作を読めば、 むしろこの人いい人じゃない?と言う方もいるかもしれません。もしかしたらそうなのでしょう。

が!しかし!!わたし個人にとっては「本当はいい人?はー?」です。百歩譲って良い人だったとして、逃げて泣くくらい嫌だったことは紛うことなき事実。

世の中に存在する多くの物語では、かなりの確率で怖い人や意地の悪い人が登場することから、現実の世界もそうなのだろうと思うと余計に泣けてきます。

ああいう意地の悪い人や怖い人がいるから気をつけようと思うべきなのか、ああなってはいけない、ああいう人に遭遇したらどう対処したらいいかを考える機会があってよかったね、なのか。

いやいや、<子どもの時ニールとイライザの意地悪っぷり怖かったわあ>というだけの話ですね。ふふ