ひつじ泥棒2

Who stole my sheep?

わたしの2022年 in 上海<上半期>

 

2022年もあっという間に残すところあと数日。【お年玉プレゼント】にのっかって、まずは2022年の上半期から振り返ってみようと思います。

2022年1月の記事一覧(12記事)

遡って2020年2月、春節の旅行で来ていた沖縄滞在中にコロナのパンデミックに巻き込まれ、思いもかけず日本に長期滞在すること約2年近く。2021年の12月にやっと中国に戻ってきました。この時の隔離期間は隔離施設で2週間、自宅隔離が1週間の長い隔離を経て迎えた今年の1月。中国の南の方では冬至などに食べる冬の風物詩的な湯円(タンユェン)で2022年の新年を迎えました。

この頃のブログタイトルを眺めていると、久しぶりの中国ライフにテンション高めな感じ。公園をお散歩しているだけで楽しくて、これぞ中華ライフとニヤニヤしていた。

 

2022年2月の記事一覧(10記事)

まだまだハネームーンピリオド継続中で、中華ライフを満喫していた2月。進化系本屋さん巡りがマイブームだったようです。北京オリンピックも2月。オリンピックマスコットの冰墩墩(ビンドゥンドゥン)・・懐かしい。中国のLINE的なアプリWeChatで、ビンドゥンドゥンのスタンプをダウンロードしたのですが、一度も使うことなくオリンピック閉幕。

旧正月の大晦日にシュハスカリア(ブラジルBBQ)に行ったのですが、最後にお肉の焼きがあまく、お腹が痛くて大変だった今年の春節。アルゼンチンアサド(アルゼンチンBBQ)など、南米レストランづいていた月だった。 

 

2022年3月の記事一覧(10記事)

写真は3月12日のサクラ。この桜が満開になったところを見届けることのできなかった今年の春。この頃にはもうショッピングモールやスーパーマーケットなどの突然の封鎖も始まっていたけれど、まだ全然他人事のように思っていた呑気だった。

領事館に行ったときに、初めて場所コード(先日撤廃になりましたが、最近まではどこに入るにもスマホで位置情報等のQRコードをスキャンしないといけなかった)のスキャンを要求されておおおっとなった記憶。

月の後半に入るとネットスーパーの配達状況がどんどん悪くなり、ロックダウン前には朝6時の開店と同時にアプリを開いて連打、買えたり買えなかったり、一喜一憂を繰り返していた。TACO BELLの写真は、ロックダウン前最後の外食。いや、この時はこれが最後だなんて思ってなかったし。

そして月末から突然始まった上海の東地区のロックダウン。数日の猶予のあった西側もスーパーなどの尋常じゃない混雑ぶりがニュースになる中、スーパーでの食料品確保からは早々に離脱し、多めのコーヒー豆、MUJIでパスタソース、ディスカウントショップでワインを買い込み、家での食事はまだ動いていたデリバリーを使い、家にある食材にはできるだけ手をつけない作戦に切り替える。ロックダウン前日の夜、冷たい雨の中最後の外出。立ち寄ったYAMAZAKIパンで、お店に残っていた最後の食パン2斤とお惣菜パンを購入。この時に冷凍した食パンにその後かなり助けられた。

 

2022年4月の記事一覧(8記事)

4月1日、西側のロックダウン開始。写真は初めての配給。ロックダウン中はありがたくいただいた大量に届けられる青梗菜、ロックダウン解除後は一度も買おうという気にならないくらいにはトラウマのようです。住んでいる区や地域によって、配給の内容や回数も随分違い、SNSで配給品の写真がアップされるのを見ながらつい自分の居住区と比べてしまう。元官僚などが多く住んでいる区の配給はゴージャスだった。

毎日抗原検査をしてはWeChatで写真をアパートメントの管理に送り、指示のある日はPCR検査に並ぶ。

次第にアパートメントのグループチャットなどもでき、ボランティアが管理する共同購入のシステムが立ち上がり、生活必要物資が手に入るようになる。住人のツテでコーヒー豆が手に入ったときには大声で叫びたいくらい嬉しかった。

 

2022年5月の記事一覧(6記事)

終わらないロックダウン2ヶ月目に突入。ネギ栽培をしていた方も多かったはず。わたしももれなく育てました。この頃には、好きなものを好きなだけ買うことはできないものの、共同購入のシステムはかなりスムーズに流れるようになり、お刺身や鰻、そしてライチなど美味しいものたちも購入できるようになる。そんな共同購入の中でもうちのアパートメントでの一番人気は、マックやKFCをはじめとしたファストフード。グループチャットにあがる募集開始を見逃すと、あっという間に締め切っていることも。

2022年6月の記事一覧(7記事)

もうこのままずっとロックダウンを続ける気なんじゃないか、解除前日まで疑っておりましたが、本当にロックダウン解除。

なんにせよ、とりあえずスタートして走りながら整えていくスタイルの中国行政なので「解除はしますが今日中に全員PCR受けてください、受けないと健康コードを黄色にしちゃいます(緑がOK)」とか言うものですから、解除後すぐのPCR検査は1時間半くらい並ぶ羽目に。そんなに並んでられるかということで、アパートメントではPCR検査も共同購入も始まりました。なんでも共同購入。2、3日するといろいろなことが落ち着いきましたが、この2、3日に1度のPCRライフも一生続くんじゃないかと思いました。(こちらも先日撤廃に)

ロックダウン中に居住許可が切れていたのですが、これもしょうがない。上海市にいたっては大学受験すら1ヶ月ずらして実施。ロックダウン後2ヶ月ぶりにあった知り合いは、すっかり色白さんになっていました。やっぱり浴びる紫外線の量って見た目にはっきりわかるものですね。

 

ワクワクでスタートした2022年上半期でしたが、ロックダウンを挟み全てにおいて感覚が麻痺したような、実態のないような、あるような・・・、そんな半年。

なんだかんだとその麻痺は下期へと続いていきます。

 

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

エピローグ

 

興奮のなか閉幕したわたしのワールドカップ。その後も余韻にどっぷりとひたり、アルゼンチン代表チームが乗った飛行機をフライトレーダーで追いかけるアルゼンチンメディアをフォローし、空港についた代表チームが宿舎まで移動する様子をライブで眺め、翌日のパレードをもちろんライブで追いながら、同じように余韻を楽しむ世界中の人たちがシェアするワールドカップや選手たちにまつわるよもやま話を友だちとわーわーとシェアしながら過ごしていました。なのでまだ眠い。

評論・分析、動画、ミーム、かえ歌、妄想などなど、いろんなコンテンツを提供してくれる人が世界中にたくさんいて、さらには選手自身も動画やコメントなどをあげてくれるので、ゲーム以外のところでのワールドカップもしっかり楽しませていただきました。

400万とか500万とかが集まったブエノスアイレス

人口300万人に満たないブエノスアイレスの街に、400万人とか500万人とかが集結するってどれだけ熱いんでしょう。2022の夏は、一生忘れることのできない、すごい夏になるんだろうなあー。いいなあー。

選手たちそれぞれが地元に帰り、それぞれの地元で暖かく迎えられたところまで見届け、わたしも大満足。ふう、おなかいっぱい。いいことも、悪いことも全部まるごと、ごちそうさまでした。

via @nicolasotamendi30

この数日尋常じゃない時間スマホを握っていたのですが、決勝前まではわたしのタイムラインは半分以上は中国のコロナ関連、感染した上海の人たちの阿鼻叫喚のコメントで埋め尽くされていたのですが、決勝を境に一気にワールドカップが占拠。

選手たちがおうちに帰った今、タイムラインもだいぶ落ち着き、コロナ関連がまたぼちぼち戻ってきたところです。

一方上海の街は、ワールドカップ開幕のころからはまたシーズンが1歩も2歩も進み、寒さで耳が痛い。そしてスーパーには、ワールドカップのオフィシャルスポンサー中国の大手乳業メーカーの蒙牛(もちろんCMはメッシ)のメッシパッケージの牛乳なんかが並ぶのかな。

もういくつ寝るとクリスマス

ツタたちもクリスマスカラー

我が家にもサンタはくるのかしら・・

 

¡¡¡Dale campeón!!!

¡¡¡Dale campeón!!!

誰がこんな展開を予想していたでしょう。

決勝が決まってすぐくらい、メッシがワールドカップを掲げてキスをする画がわたしの脳裏にはっきりと浮かんだので(と思っている人億越えでいると思いますが)、今回こそはきっときっと実現のものとなると信じていました。後出しジャンケンといえばそうなのですが、人に言うと叶わなくなるとか聞くので(そうでしたっけ?)言いたい気持ちはやまやまでしたが、試合が終わるその時までは試合の結果については断定的なことは言うまいと、固く口を閉ざしておりました。

勝つに違いないと思っていても、あまりにも前半がうまく行きすぎて、狂喜しながらも時間の経過とともに(アルゼンチンなのに、そんなんいうまく行くはずがない)と疑心暗鬼になり、フランスに、というかエムバペに追いつかれると(やっぱりダメかもーーー)と悲観、さらに勢いづくエムバペに追いつかれ(うそおおおおおおおおんんんんん)でした。

延長に入る頃にはもう内臓引きちぎられそうな気分。ほんとに痛い。そしてまだまだ繰り返されるギャー(↑)とギャー(↓)。エムバペ氏、まるで地の果てから追いかけてくるホラー映画の怖役のようでした。怖かった・・あの人。

エムバペッシ
twitter@nocontextfooty

ナイキ(フランスユニ)とアディダス(アルゼンチンユニ)的に、これはどうなんでしょう・・と思いつつ。

PK戦にはいった頃には、内臓みじん切り。怖くて見れないーーと友人にメッセージを送りつつもしっかりうす目を開けたり閉じたりしてPKの行方を見ていました。

そして結果はご存知の通りです。ほんとうれしいー。幸せ。

混ざりたいなーーーーーー
instagram@porliniers

そんなこんなでわたしのワールドカップ2022もこれにて閉幕。今回も毎試合チャットしながら一緒に試合を観戦した友だちと、昨夜も全力でアルゼンチンを応援していた気配のまだ見ぬ隣人に感謝して、今しばし、眠い目をこすりながらワールドカップの余韻に浸ろうと思います。

すぐこういうのつくる・・
twitter@KFC_ES

オタメンディとディマリアと、内股のメッシ 
instagram@nicolasotamendi30

¡¡¡#TodosJuntos!!!

 

天気の良い、強い寒気の流れ込む寒い週末を迎えている上海。

長く続けてきたゼロコロナ政策、どんな収束を描いているんだろうと、いろいろなシナリオを想像するものの、一向に姿勢を崩す気配はなく・・だったのですが、ここにきてまさかのハードランディング。えーいきなりそんなことしちゃう?な発表の数時間後にはもう世界が切り替わっていました。はやっ。指数関数的に増えていく感染者数、はやっ、こわっ。

わさわさと落ち着かない気分のところに、さらにわさわさを上乗せしてくるもうひとつの要因は、もちろんワールドカップの行方です。

この数日はアルゼンチンソースの記事やSNSしか追っていないので、すっかりバモスな気分でおりますが、世間一般の感触はどんな感じなのでしょう。知りたいような、知りたくないような。

南米一を決めるコパ・アメリカ2021の時は、ABEMAにしっかりと課金し(さすがに決勝Tは有料だった)、仙台の自宅で早起きしたり、仕事をしながらほぼほぼ全試合観戦していたのですが、ブラジルとの決勝の直前までアルゼンチン寄りのSNSしか追っていなかったため、世界のみんなも当然アルゼンチンの(もしくはメッシのと言い換えも可)優勝を応援していると信じて疑っていませんでした。

が、しかし。試合直前、他のソースをちょこちょこと見てみると、ABEMAで解説をしていた元日本代表のみなさんをはじめ「メッシには勝って欲しいけどやっぱブラジルかなあ(ニヤニヤ)」・・・そんな感じ。

さらに、南米の大半は(・・と言うかアルゼンチンメディア以外はみんな)当然のようにブラジル勝利予想。ブラジルの強さはもちろんリスペクトですが、あらためて南米でのアルゼンチンの立ち位置(嫌われっぷりとも言う)を体感した次第。

「南米のアルゼンチン人嫌い」を知ったのは、アルゼンチンに引っ越す前に住んでいたブラジルサンパウロ近郊の町の近所の小さな語学教室でした。ブラジルの公用語ポルトガル語を習うために通っていたのですが、アルゼンチンに引っ越すことが決まり残りのレッスンをスペイン語に変更してもらったのです。

その時の先生がキューバ人の方だったのですが、彼にアルゼンチンってどんな国かと尋ねると、ドリアンに納豆とくさやをのせたプレートを鼻先に差し出されたかのようなしかめっ面で、う〜とうめき声をもらし言いました。

「これから数年間アルゼンチンのブエノスアイレスに住むことになる君にこんなことをいうのは本当に心苦しいのだけれど・・・」<ブエノスアイレス><アルゼンチン>と発する度に心から嫌そうな顔を作って彼は言いました。

「わたしたち中南米人はみんな、これは大げさに言っているわけではなく、みんな、アルゼンチンが、いや、アルゼンチン人が嫌いなんだ」

ほんと、これからアルゼンチンに住むことになった初対面の生徒に言うセリフにしては、なかなかパンチの効いた発言です。

中南米人は、大きな声では言えないけれど、ブラジルのこともさほど好きではない。でも、もし何かのことで、ブラジルとアルゼンチンが対立することがあれば、間違いなく他の中南米諸国はブラジルにつくと思うよ。もちろん正直に言えば、どっちも倒れたって構わない、どっちでもいいんだ。でも、どちらかを応援するとなった時、アルゼンチンと言う人はいないと思う」

・・・って、えええ?そうなんですか・・・?

そんなわけで、アルゼンチンに行く前まではどれだけひどい国なんだとおののいておりましたが、住めば都。楽しいアルゼンチンライフを過ごしましたし(実際住んでみて、キューバ人の先生が言っていたことのニュアンスはしかと理解できましたが)、2014年のワールドカップでは、アルゼンチンのワールドカップへの重く熱い想い、決勝へ進んだ時の熱狂と、決勝で敗退した時のカオスを、アルゼンチンで肌で感じることもできました。

そんなこともあり、昨年のコパ・アメリカの時にアルゼンチン以外のみなさんが、ブラジルを応援していたと知った後も、ま、そうか・・と思ったものです。結果、大方の予想を覆し、アルゼンチンがコパを勝ち取ったわけですが。

さてーーーーーー。いよいよです。

アルゼンチンもフランスも、どちらも観ていてワクワクするプレーをするチームですし、そんなチーム同士の対戦を決勝という最高の舞台で観ることができるのはステキなことです。

チームはおいておいて、個人的にはアルゼンチンのディ・マリア一押し、フランスのグリーズマンも見ていたい選手のひとり。なによりアルゼンチンを、チームを応援するために、メッシと獲る(であろう)最後のワールドカップのために、はるばるアルゼンチンから今もなお続々とカタールに向かって集まってくるアルゼンチンサポーターたちを見るのも楽しみ。

緊張でおなかがどうにかなってしまいそうですけど。明日までこのわたしのノミのハート持つかしら・・バモー!

まずは今夜のクロアチア・モロッコを楽しみます。ふうっ

#TodosJuntos

#TodosJuntos:メッシが決勝を決めた後にインスタにアップしたコメントにつけたハッシュタグ。アルゼチンの代表メンバーたちや、元代表たちがみんなコメントしていて胸熱

¡¡¡Muchachos!!!


アルゼンチンの相手が気になり、今朝も2時53分にアラームをセット。この時間に起きるのにすっかり慣れてしまったのか、目覚ましのバイブの前に起きてしまうようになりました。

思いの外早い時間帯にフランスが1点入れたので、フランスがあともう1点入ることがあればそこで寝てしまおうと思っていたのですが、そこからのモロッコがねばりにねばり、フランスもあと1点を攻めあぐね。追加点が入ったのが後半30分を過ぎ・・

そんなわけで眠い。眠いのですが、気持ちがわさわさして落ち着きませんー。ファイナリストになった興奮が落ち着いてくると、今度はドキドキやら、ハラハラやら。(わたしがファイナリストになったのかくらいの気持ちでいる)

一通りの日本のサイトから出ている記事を読んだら、次はアルゼンチンのサイト、言葉が違うだけでほとんど同じ出来事と、同じエピソードなのですがそれでもやめられず、アメリカのサイト、イギリスのサイト、読めないけれどドイツのサイト・・・

日曜までこのテンションでわたし大丈夫かしら

さいごはGOATが決めてくれー!

GOAT (やぎ)= the "Greatest of All Time" = Messi

マイ栗爪・・どこへ

 

先日「マイ栗爪」というタイトルのブログ記事を書いてアップしたのですが、しばらくしてからその記事を開いたら・・記事がなくなっていました。タイトルとタグを残して、記事だけがごっそりと。

たまに「記事が消えてしまった」というブログ記事を見かけることがありますが、自分の身に起こったのはたぶん初めてのこと。消してしまったことちょいちょいありますが、消えてしまったことはないはず。わたしのマイ栗爪の記事、どこにいったのでしょう。

栗爪とは、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、何かと言いますとこういうもの。

マイ栗爪(夫のは栗勺)

ちなみに栗勺の勺は、日本の漢字だと杓でしょうか。柄杓(ひしゃく)の杓。スプーンやレードルのような「すくう」道具に使う漢字です。

円くなっている部分をメインにすると「栗勺」で、下の使い方の写真に見えるギザギザの爪の部分をメインにすると「栗爪」なのかなと理解いたしました。

画像はイシイの甘栗さんからお借りしたのですが、イシイの甘栗では「くりわり」と命名されているようです。仙台にもお店があり、大きく「栗」と書かれた看板が目印。目印を見る前に、その香りだけで美味しくなってきます。

東京にいるときには、いつも「甘栗太郎」の甘栗を食べていたのですが、「イシイの甘栗」は浅草六区にもあるようなので、今度帰ったら行ってみます。

甘栗太郎は秋葉原の店舗がマイ太郎なのですが、お店の入っているビルの名前が「ATビル」というんです。これって「Amaguri Taroビル」ということかなあとATビルを見るたびに思っています。

上海では、京都の老舗「林万昌堂」の甘栗にお世話になっています。上海にいて京都の甘栗を堪能できるって、なんてステキなんでしょう。

毎年10月の新栗が始まる頃、上海の静安寺にある「久光」というデパートの地下に出店されるのですが、この林万昌堂の甘栗がほんと美味しい。今シーズンもすでに数キロ食べてしまいました。

林万昌堂の甘栗

甘栗といえば聞き馴染みのあるのは「天津甘栗」ですが、林万昌堂や、甘栗太郎をはじめとした、日本の甘栗屋さんのほとんどは、天津ではなく河北省の美味しい栗をつかっているようです。河北省で取れる品種の栗が、しまった大きな甘い実と、渋皮の剥がれやすさなどが甘栗に適しているそうです。

上海の街中でも、栗シーズンが始まると美味しい甘栗の甘い香りが漂います。

上海でよく見かける甘栗のお店
(わたしは栗王子と呼んでいます)

眠い日々が続いております。
先日のベスト8のアルゼンチン・オランダのゲーム、2時55分にテレビの前に栗と暖かいお茶を用意してスタンバイ。しっかりと国歌のところから中国の国営放送で観戦していたのですが(ベスト8なのに日本の地上波やってくれないなんて)、早朝から栗気分とはならず、静かにお茶をいただいておりました。

アルゼンチンのゴールが決まるたびに、近所から聞こえてくる歓喜の声。まだ見ぬご近所さんに勝手に親近感です。