ひつじ泥棒2

Who stole my sheep?

わたしの読書スタイル2パターン

 

本をたくさん読みたいなあと思ってスタートさせた2021年。冬休みが終わってからはペースがキープできていませんが……休みの間に4冊読み、今はだらだらと5冊目を読んでいます。

本にもジャンルがいろいろありますが、実用書は「それほんと?」「この人何者?」「出典は?」「数字の分母は?」「いつの数字?」などなどツッコミが止まらず、まったく素直に読めません。本や作者に反発しイラっ、無意味に反発している自分にもイラっ。読んでいる最中は終始批判的なのですが、その割に読み終わったあとの感想はポジティブなことも多いのですが、なんにしても読んでいる最中のネガティブなドライブで疲労感が半端なく、必要に迫られない限りほとんど読むことはありません。

そんなわけでよく読むのは多い順に、長編小説、短編小説、ドキュメンタリー、エッセイ。そして読み方は2パターンあります。

ひとつ目は、ストーリに入って読むスタイル。例えていえば、読むのをやめるまで読んでいる感覚すらなく、ただただ読み進めていく。そんな型。

もうひとつは、自分に置き換えて読むタイプ。登場人物にかけられる言葉や、起こる出来事に、わたしだったらどうする……と妄想が広がるパターン。

どちらのスタイルでいくかは、自分が決めるわけではなく、本を読んでみて自然とどちらかになっていくので、読んでみるまでまったくわかりません。どちらのタイプの本が面白いという優劣もなく、本によってただただ読み方が違うようです。

前者の日常から離れて非現実な本の世界にはいっていくパターンも、後者のわたしだったら……から妄想に広がっていく現実の延長の世界というパターンも、わたしにとってはどちらも読書の醍醐味。

ただ、前者は一気に読み終えてしまうのに対し、後者は読了までにやたら時間がかかります。さらに、後者のタイプで長編小説、かつ登場人物多め、設定の場所や時間軸が複数絡んでいたりすると、読み終わるまで時間がかかってしょうがありません。

ちなみに、あまり面白くない本だとどちらのタイプにもはまらないかもしれません。ただ、一旦読み始めたら、最後まで読み終えたい派。もしかしたらこの後面白くなるかもしれませんし、ここまで読んだ分の時間の分の元は取りたいと、せっせと最後まで読みます、一応。

今年読んだうちの1冊は、芥川龍之介の『歯車』です。本当は芥川の『上海遊記』を読もうと思っていたのですが、魔が差したといいますか、つい『歯車』をぽちっと触ってしまいました。

この本は、一章のみ生前に発表され、残りは遺稿として発見された芥川の最後の本。小説というよりは散文のような文章で、彼の最後の精神状態が色濃く出ている、現実の出来事と、考えていることと、芥川が取り憑かれている妄想が、淡々と描写されているのが逆に生々しい本でした。

34、5歳でこんな感じだったとはご本人も日々さぞお疲れだったことでしょう。お察しします。そしてこの本、わたしの読書パターン2だったのです。わたしも疲れました……

どこを切り取ってもひたすら鬱々としたこの本を、自分ごととして読まなければいけないこの辛さ。そんなのわたしのさじ加減ひとつですが、勝手にそうなってしまうのでしょうがない。ああ、なんで『上海遊記』にしなかったんでしょう。『歯車』はいろいろと考えさせられる一冊ですが、正月三が日に選ぶ本ではなかったな。

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『歯車』の自筆原稿。芥川氏、繊細そうな文字ですねえ